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もう雪は降らないのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

もう雪は降らない(2020年製作の映画)
3.5
[最後の雪はやがて] 70点

2021年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。ウクライナ出身の男ゼーニャはポーランドにマッサージ師として出稼ぎに来ている。施術用の簡易ベッドを肩に掛け、物腰柔らかな笑みを浮かべ、客たちの言葉を全て受け入れて治療を施す。彼は不思議な男として描かれている。冒頭のシークエンスでは、まるで周りから見えていない人物のように、暗い森から歩み出て、誰もいない早朝の街を進み、人の並ぶ市庁舎の階段のド真ん中をすり抜けて役人のオフィスへやって来る。誰からも目を向けられないからこそ、画面のド真ん中にいる彼に目を向ける我々には"何かヤバいものが見えてるんじゃないか"という感情が芽生えてくる。個室のオフィスでゼーニャの応対をした役人は、彼に奇妙な感覚を覚えるとして助けを求め、ゼーニャは催眠術師のように役人を眠らせて、居住許可証を自力で発行する。

ゼーニャは郊外にあるゲートで仕切られた中産階級の家々が立ち並ぶコミュニティで仕事を始める。真っ白な壁と紺色の屋根という画一的な家が立ち並ぶ光景は、真っ先に『ビバリウム』を思い出してしまう。そこにいる中産階級の人々は、子供たちが学校に行く以外大概の人が怠惰な日常を送っていて、新参者ながら様々な家に出入りするゼーニャは彼らの生活の裏側に隠された事実を目撃し、同時に全てを知るからこそ欲望の的となっていく。まるで現代の『テオレマ』を見ているかのように、大人たちの欲望の中心にスルッと入ってしまうのだ。住民たちは裕福でエリート主義的で、世間知らずで、常に嫉妬に満ちていて、隣人を批判することに明け暮れている。彼らは不寛容だが、不寛容が間違っていることも理解している。そんな複雑に絡み合った心情を癒やしていくのだ。
面白いのは迫られても基本的に催眠術で楽しい夢の世界へ誘って躱していることだろう。相手が寝ている間、ゼーニャは家の中をウロウロしたり踊ったりしているが、犯罪目的ではなく依頼者が起きるまでの暇つぶしといった感じに見えるので『テオレマ』より遥かに健全な作品と言えるだろう。また、犬のマッサージを頼まれたり、ゲートの警備員と酒を飲んでセグウェイで爆走したりとコミカルな挿話も存在していて、後述の背景描写と相まって"侵入者"であるゼーニャは立体的な人物造形がなされている。

ゼーニャはプリピャチ出身で、幼少期にチェルノブイリの事故で被爆したという設定になっている。回想シーンではセピア色の画面の中にタンポポの綿毛のような死の灰が雪のように舞っていて、『ストーカー』まんまな超能力シーンを二度も使って、ゼーニャの不思議な人物像の内面を構築していく。こうなれば『ストーカー』の精神的続編と呼んでも良いだろう。彼は人々を癒やしているのに被爆した母親は救えず、それをずっと心にしまって苦しんでいるが、癒された人々は自分と自分を囲む環境にしか関心がないので気にもとめない。中産階級の無関心さへの皮肉である。しかし、『テオレマ』のテレンス・スタンプが無個性だったのに対して、暗い過去を持つ不思議な出稼ぎウクライナ人という背景が必要だったかと言われると微妙で、というか逆に"東"のエキゾチズムみたいなものを匂わせるステレオタイプ化に貢献していて、あまり褒める気にはなれない。『ストーカー』のあのシーンがやりたかっただけでは?一応、中産階級の彼らも子供をフランス語学校に通わせていて、東→西への目線は成立しているが。

英題"二度と雪は降らない"というのは、死の灰と雪の連想から原子力発電への恐怖かと思いきや、"年々暖かくなる冬への恐怖"も含まれるらしい。そんなことに言及してたシーン覚えてないが、ラストでいきなり"雪が降るのは2025年が最後と言われている"と出てきて"は??"となった。だからこそ、救世主ゼーニャが雪を降らせて住民たちの潜在的な恐怖を取り除く希望的なエンディングという話なんだろうけど、何周か面白いとこも回ったのに終着点がそこかよっていう徒労感に襲われる。これ気候変動の話だったん?もしかして論理構築苦手?

依頼者の一人に神経質な末期がん患者がおり、途中で亡くなってしまった彼の代わりにその若妻とマジックショーをするというカオスな展開がある。しかも、息子の発表会で。その上、"実は彼のお父さん亡くなったんです…それでは彼のお母さんと(皆さんご存知)ゼーニャさんのマジックショーで~す!!"みたいなノリでマジックショーが始まる。『The Other Lamb』のときも思ったけど、シュモフスカってその場のノリで映画作ってんのかな。訳がわからなくなって爆笑してしまった。
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