木蘭

親愛なる同志たちへの木蘭のレビュー・感想・評価

親愛なる同志たちへ(2020年製作の映画)
4.5
 1962年にソ連・ノヴォチェルカッスクで起きた大規模なストライキとデモ、その鎮圧を描いた物語。

 淡々とした描き方や1960年代のレトロな情景、スッキリとしたモノクロの画像から、古いノワール映画を観ている様だった。
 扇情的な演出はせずに、登場人物の背景や置かれた状況といった過酷な事をサラッと画面や台詞に入れ込むので、分かりやすいエモさを期待すると肩すかしを食らうかも。

 正直に言えば、自分自身はそれほどインパクトは感じなかった。強権的な国家では良くある事件だし、それを描いた作品はこれまでも沢山在ったし、これからも沢山作られるだろう。残念な事に。
 だからといって意味が無いとは思わない。何故なら、私の横で見ていた若者はすすり泣いていたからだ。この為に、コンチャロフスキーは映画作家として、彼のやり方で事件の痕跡を覆い隠したアスファルトを引きはがして見せたのだから。

 検閲の時代をくぐり抜けて来たソ連の映画人だからか、非常に丁寧に慎重に配慮して描いている様に思えた。
 だからという訳では無いが、ヒロインを初めとする特権階級の人々や軍、KGB、狙撃手となる警護局員ですら悪魔的には描かれない。それぞれが人間らしい良心も思いやりも、人としての小ささも持った人々として描かれる。それなのに残酷な事件が起きてしまう事の深刻さたるや・・・。

 のっけからこの国はコネで社会が廻っているんだな・・・という事が分かるシーンで苦笑してしまうのだが、ヒロインを初め特権階級の人々は、社会主義の理想に邁進しているかの様に振る舞い発言しながら、無自覚に相矛盾する事をしれっと行っている人々である事が分かる。無自覚だから、問題の本質が何処にあるのかが分かっていないし、疑問を感じても保身と同時に己の任務に忠実であるばかりに、考える事を止めて過ちを繰り返してしまうのだ。
 それ故に、普通の物語であれば、信じていた物に裏切られ、疑問を持つ事で主人公は生まれ変わるのがスジだが・・・神に祈ってしまう程に追い詰められても、父親から悲劇的な家族史の告白を受けても・・・そうは成らない。出来ないのだ。ヒロインは最後まで、スターリンじゃなきゃダメと口にするほど、党と国家に対する思いは揺るぎない。悪いのは現在の指導者なのだと。
 だから、きっとこれからは良くなる・・・と、惨劇を前にしても希望を口にする事が出来るのだ。この嵐をくぐり抜ければ・・・血の跡を覆い隠したアスファルトの様に、彼女たちは忘却と嘘で現実を塗り固めて・・・ダンスパーティで踊る人々の様に、訪れるであろう70年代の経済的繁栄を享受するのだろう。

 今のロシアを思えば、地味だが重い批判を込めた、1934年生まれのコンチャロフスキーの遺言の様な映画だった。
木蘭

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