kuu

ニューオーダーのkuuのレビュー・感想・評価

ニューオーダー(2020年製作の映画)
3.6
『ニューオーダー』
原題 Nuevo Orden.
映倫区分 PG12.
製作年 2020年。上映時間 86分。
メキシコの俊英ミシェル・フランコ監督が、広がり続ける経済格差が引き起こす社会秩序の崩壊を描き、2020年・第77回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞したディストピアスリラーメキシコ・フランス合作。

裕福な娘マリアンは夢にまで見た結婚パーティの日を迎え、幸せの絶頂にいた。
彼女が暮らす豪邸には、結婚を祝うため政財界の名士たちが集まってくる。
そんな中、近所の通りで行われていた貧富の差に対する抗議運動が暴動化し、マリアンの家も暴徒たちに襲撃されてしまう。
殺戮と略奪が繰り広げられ、パーティは一転して地獄絵図と化す。
マリアンは運良く難を逃れたものの、次に彼女を待ち受けていたのは軍部による武力鎮圧と戒厳令だった。

Aah!
You say you want a revolution
Well, you know We all want to change the world
You tell me that it's evolution
Well, you know We all want to change the world

脚本・監督のミシェル・フランコは、『持てる者』と『持たざる者』という、常にホットで、非常に今日的なテーマを正面から打ち出してました。
病院での混乱と死体の山が、メキシコの街で問題が起きていることを知らせてくれる。
そして、娘のマリアンヌ(ナイアン・ゴンザレス・ノルヴィント)が婚約者のアラン(ダリオ・アズベク)と結婚する裕福なノヴェロ家の高級住宅地で、豪華な結婚式が開かれている場面に切り替わった。
彼女の父イワン(ロベルト・メディナ)は重要な実業家で、他にも重要人物や高官を招待していた。
出席者たちが交流する中、母親のレベッカ(リサ・オーウェン)は、病気の妻に必要な手術代を要求する元従業員のロナルド(エリジオ・メレンデス)に会うために門前に呼び出される。この後、ノヴェロ家の人々は、礼儀正しく対応する。彼らはロナルドにいくらか金を渡したが、必要な額にはほど遠かった。
マリアンヌは、結婚式の日にもかかわらず、彼を助けようと必死になる。
マリアンヌは、忠実な家政婦マルタ(モニカ・デル・カルマン)の息子クリスティアン(フェルナンド・クアウテル)に、ロナウドの住む家まで車で送ってもらう。
マリアンヌの知らないところで、反乱軍が結婚式の祝宴を妨害し、彼女の家では殺戮が行われていたのだ。
ロナウドの家に到着すると、覆面をした兵士たちがマリアンヌを人質に取る。彼女の鮮やかな赤い衣装と、デモ隊の使う緑のペンキが、四面楚歌のメキシコの国旗とシンメトリーになっている。
多くのエリート富裕層が殺され、身代金目当ての人質や拷問を受ける者もいる。映画監督フランコは、革命がもたらす熱狂と恐怖を見事に捉えている。
反乱が起こり、クーデターが進むにつれ、権力と欲望がもたらす影響をすぐに目の当たりにすることになる。
物語の大半は特権階級の視点から語られており、多くの人が不快に思うかもしれない。
この争いにはいくつもの立場があることに戸惑うが、フランコが云いたいのは、善人などいないということかな。
今作品は、暴力と強欲のために、社会批判と搾取の境界線上にある。
もちろん、監禁され拷問されている人々を除いて、ここでは誰にもほとんど共感を覚えることはない。
ある種の要素は混乱に乗じて成長し、状況は権威主義に転じる。
このシニカルなメッセージは、権利と腐敗は誰が責任者であろうと存在する。
云い換えれば、物事が変われば変わるほど、変わらぬままであるということ。
新秩序は古いものと同じであり、ただ新しい顔を持っているだけ。
余談ながら、西田幾多郎って丸眼鏡のハゲオヤジも『世界新秩序の原理』ってヤツでよく似たことをいってた。
話しは映画に戻り、フランコは、メキシコに特有の不安を浮き彫りにしたが、世界的な問題にも言及している。
しかし、タイトルや政治的な色合いが濃いにもかかわらず、今作品は階級闘争や紛争、富の分配について具体性や洞察力をもって多くを語ってはいない。
メキシコの持つ者と持たざる者の冷酷な格差を取り上げ、それを口実に緊張感を与え、画面を血で染めるという熟練の技を披露しているだけかな。
政治的なことを云いたいようやけど、支配階級のエリートの腐敗に対する未開発の(そして概して安っぽい)シニシズム(虐げられた人々の発展がゼロであるために損なわれているような)を除けば、これは、たまたま架空の反乱とクーデターの最中を舞台にした、緊張感のある巧妙な演出のスリラーに過ぎない。
画面上で時折メキシコの国旗が揺れる光景は、ミヒャエル・ハネケの文体を取り入れた、最終的には娯楽性の高い緊迫したB級スリラーであるための、政治的シンボルの利用の一部のよう。
そのことを念頭に置いて観れば、その技巧に感嘆することができるかな。
本当の解決策があると云うなら、是非ともその計画を見てみたい。
kuu

kuu