「あなたは媒介者ですか?遂に来たのですか?」
「あなたが呼んだからここへ来ました」
フリッツ・ラング恐るべし。信じられん、100年近く前の作品だ。前年にアメリカで「ジャズ・シンガー」が公開され、ようやく映像に音がつき始めた時期であり、本作はまだサイレント映画として製作されている。
そんな時代にフリッツ・ラング(と当時の妻であったテア・フォン・ハルボウ)は聖書をベースにこれだけの世界を頭の中に思い描いていたのだ。映画といえば専ら史劇か恋愛ものが主流だった時代に、これだけの未来世界をアウトプットしたことにただただ恐れ入る。何を今更なので、ここで取り立てて話すことはしないが、後世の映像製作に与えた影響は計り知れないし、部分部分の映像はたびたび引用されている。
と同時に惜しいことをしたと思う。調べてみると、ドイツでの公開当時の上映時間は210分だったらしい。これに対して、今日観られる映像は長くて150分まで(今回は150分カラー版を鑑賞)。つまりオリジナルの30%近くは未だ行方不明ということになる。ハリウッドでバラバラにされたそうだが、もっと痛手だったのはその後のドイツの情勢だ。ナチス政権〜第二次世界大戦がなければ、バラバラにされたフィルムをフリッツ・ラング自身の手で回復させることができたのではないか?その機会が永遠に失われ、今となっては推察するしかない状況は残念としか言いようがない。
頭脳・手・そして心の三位一体がなされたとき、初めて「サグラダ・ファミリア(聖家族)」は果たし得る。がしかし、人類はAIに走り、再び心を軽視し始めている。聖家族の実現こそがバベルの塔の正体ではないかと思いながら、私は今日も歓楽街"YOSHIWARA"に足を運ぶのであった。