とうじ

メトロポリス 完全復元版のとうじのレビュー・感想・評価

メトロポリス 完全復元版(1926年製作の映画)
4.0
これはラングの他の作品(特に「スピオーネ」と「ドクトルマブセの遺言」)にも感じたことだが、物語の遠近感覚が、表現主義的に錯綜している感じがする。みていると物語の規模が大きいのか小さいのかわからなくなり、それはつまり、どちらでもあるのである。
そのズレは、個人的にはそういうものとして飲み込むものの、喉越しがいいとは言い難い。
そして、本作において何がそのズレを生み出しているかというと、極めて個人的な感情の起伏も、熱狂的な暴力性を持つ集団心理も、同じような距離感をもって演出しているところだと思う。普通は、前者をメインにして、後者をその背景として映し出すか、その逆である。しかし、本作はどちらにもくっきりとピントが合っており、ストーリーテリング上の被写界深度のバグが発生している。

そのようなズレの他に、現実感覚のズレもある。
本作は、架空の世界を通して現実を描く「sf」という前提があるので、「スピオーネ」や「ドクトルマブセの遺言」よりは目立たないが、それでもやはり演出の生々しさにムラがある。
例えば、本作は活劇的な行動をする人々の行動原理を、結構丁寧に、会話を通して描く。そこは、あたかも観客に、これは現実で起こりうるのである、と説得させたくて仕方がないもののように感じられる。
その一方で、特に本作の終盤なんかでは、やはりこれは活劇なのでこれくらいシンプルでいいのであると胸を張って、思い切ったような描写をしたりもする。
そして、その二種類のズレは、一個一個のシーンがゴロゴロとざく切りで並べられているような本作の鈍重さによって、さらに強調されている。
このムラついた感じは、ノーランのダークナイトシリーズ(特に3作目)に多いに継承されていると思う。
ラングは好きな監督だし、そのようなことを気にせずとも楽しめる名作も多い(飾り窓の女、M、スカーレットストリート、復讐は俺に任せろ)のだが、彼の語り口には多くの場合、そういう違和感を孕んでいるということがもっと指摘されてもいいのではないかと思う。
映像が凄いのはいうまでもないし、みたことのない世界を見れるという、極めて根源的なレベルでここまで完成度の高い映画は、120年間の映画史の中で10本あるかないかであろう。それを見るだけでも十分価値はある。
しかし、その世界のもとで語られる物語は、少し不器用な感じが否めないし、その点で本作より心を動かされる映画は(サイレント映画に限定しても)たくさんある。

権威主義的な事は言いたくないが、HGウェルズは本作の物語を「silly」だと評していて、彼はあながち的外れな事は言ってない気がする(本作の映像は全く「silly」ではない)。
とうじ

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