NAOKI

65/シックスティ・ファイブのNAOKIのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

あのサム・ライミ御大が制作に名を連ね、監督はクワイエット・プレイスの脚本だった2人(但しあの映画はクラシンスキーの手柄だと思ってるけどね)
そして何より主演がアダム・ドライバー!
スターウォーズだのジャームッシュだのリドスコだのとおれの1番のお気に入り俳優と言っていい…

何やらゴリゴリのSFもので去年からずっとマークしてました。

ところが公開前から何やら不評の嵐!
このフィルマでも先行して観た方からの酷評の嵐(笑)現時点で3.0とはどうしたことか?
早くも大コケの予感プンプンでこんな珍作一体「誰得」の映画なんだ?とか言われてる…

上等だ!「おれ得」の映画として観に行くぜ!とばかり初日に駆けつけました!
(但しハードルをそっと倒して走り出す感じ?)(笑)

わるくないやん…少なくとも映画観てる間はおれは退屈することなく楽しめました。
しかし終わった後…何か薄味というかインパクトがないというか数日後には忘れてしまいそうな感じ…これが不評の主な原因でしょう。

金はそこそこかかってるしアダムドライバーも子役の女の子も決して悪くないよ…問題は演出と設定…

そもそもアダム・ドライバーが不時着した惑星は隕石の衝突で恐竜が絶滅する寸前の地球だった!

それが後々わかるのではなく映画の冒頭でしかも字幕でバラされる…「ここは地球!」って…

最初は未来の地球人がタイムスリップして来た?とかも考えたがどうやら違うみたい…つまりアダムは地球に人類が生まれる前の別惑星から来た我々とは違う人類であるというわけ…

こういう話…正直嫌いじゃない…ロマンがあってワクワクするやん…トワイライト・ゾーン的な一話だったら傑作じゃね?

ここでおれが言いたいのはハリウッドの「英語」問題…
アメリカ人は全世界の共通語は英語ということに自信を持ちすぎる…なんなら宇宙の共通語も英語でいいんじゃないか?って…

昔からメキシコ人にも英語を喋らせて最後にアミーゴをつける…日本人も英語で最後に「やったー」って叫ばせとけばいいだろう…こんな調子…

はるか昔はるか彼方の銀河系のスターウォーズさえも英語(まぁこれは規模的にしょうがないけど)…「猿の惑星」に至っては地球から遠く離れてるはずの惑星で猿が英語を喋ってもそこは地球ではないかと疑いもしない…おかしいやろ?

まぁこれはハリウッドのご都合主義で日本だって日本語に吹き替えて外国映画を楽しんでるけどね(笑)

でもメルギブは「アポカリプト」で全編古代マヤ語で通して信じられないリアリティを演出したしスタートレックでもクリンゴン人はちゃんとクリンゴン語を喋るじゃん…

本作「65」ではアダム・ドライバーは惑星ソマリスの宇宙船パイロット…冒頭妻と娘と海岸で過ごすシーンがあり、娘の病気のために報酬の良い宇宙探査の仕事に出かける話が語られる。もうこのシーン…海も空も英語を話す3人もどう見ても地球と地球人…これでは地球に人類が登場する前の他天体の人間だと思うほうが無理だ…

そしてこの後この映画にはアダムと少女しか登場しない…セリフもものすごく少ない…なぜこの映画のために架空の「ソマリス語」を作らなかったのか?地球が呼吸可能なほど大気も同じ惑星だから見てくれが人間なのは良しとしよう…ただ何か我々地球人とほんの少し違いを見せる工夫があっても良かったのに。例えば目の色とか髪の毛の色とか(太陽も違うはずだから)…そして聞いたこともない言語を喋る…

これだけの工夫でこの映画のリアリティはずいぶん上がるんじゃないか?

そして地球であることもバラさず、時が流れこの惑星にも人類が栄えここで初めて英語を喋るつまり我々が登場する。(実際ラストシーンで都市の遠景が映る)
そこは発掘現場で白亜紀の地層から恐竜の化石と一緒に宇宙船の残骸としか思えないものが出て来て「白亜紀に地球を訪れたエイリアンがいたのか?」って大騒ぎになるラストシーンはどうでしょうか?

ロマンがあってゾクゾクする傑作になったんじゃないかって思うんだけど…

うーん…考えれば考えるほど惜しいと思うんだよな…どうしても嫌いになれない映画…(笑)
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