荻昌弘の映画評論

女は女であるの荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

女は女である(1961年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 お古いお客さんは、何とおっしゃろうと勝手である。少くとも、お若いお客さんだけはコワバった古くさい見方で、このジャン・リュック。勝手にしやがれ・ゴダール君の新作をば、タナ上げしてしまってはいけない。
 本当のヌーヴェル・ヴァーグというものは、元来どんなになまなましい自由さで、若い世代のふだん着の実感を伝えてくるものか。これはそのいちばんやさしい、いわば絵本篇・童謡篇だとさえ、私は思う。じつにたのしくスマートな童謡絵本だ。
 赤ちゃんが作りたくてたまらないストリッパー少女、アンナ・カリーナ嬢のお話である。しかし、彼女と同棲しているジャン・クロード・ブリアリ君は、赤ん坊くらい要らないものはない。ところが彼の親友ジャン・ボール・ベルモンド君は、カリーナ嬢のからだほどほしいものはない。ねえ、プリ君それじゃあたくし、モンド君に赤ちゃん作ってもらうわ、とカリーナ嬢はだだをこねはじめ、ブリ君進退極ってクサるお話である。
 ただそれだけのお話からそれがどうなって行くかではなく、この三人がどんな反応でそいつを生きるか、だけみつめようとするのが、ゴダールの狙いだ。ヌーヴェル・ヴァーグの基本が、ここにある。
 三人の反応を発作的な生き方のままみつめるため、ゴダールはここで、ミュージカルの手、ナンセンス喜劇の手、サイレントの手、歌入りメロドラマの手、あらゆる映画の手を、ぜんぶ若い人向きに噛み砕いちゃって、ぶちまける。ぜんぶ判りやすくって、ぜんぶ愉快だが、中でもすばらしいのは、シャルル・アズナヴールのレコードを聴きながらカリーナ嬢が二人の男への愛情に思い屈する場面だ。甘い歌声と息苦しいアップの連打が、彼女の胸のあえぎまできこえるようなサスペンスで迫ってくる。このカリーナのいじらしいこと、ベルモンド君の人なつこいこと、ときどき男二人がこちょこちょ耳話しニヤリと笑うのも意味深長なこの映画の特色。何か政治的なこと言ってるらしい。前作「小さな兵隊」で発禁くったゴダールの小さな小さな反抗である。
『映画ストーリー 10(11)(123)』