tokiwa3256

女は女であるのtokiwa3256のレビュー・感想・評価

女は女である(1961年製作の映画)
-
おらが街でもようやく「追悼ゴダール映画祭」を上映することに。今回は個人的に好きな作品の『はなればなれに』をスクリーンで観られるのはうれしい♪

そんなわけで大手配信サイトで観ることが出来る『女は女である』を久〜しぶりに再鑑賞。

劇伴の音バランスが異常に悪い「歌わないミュージカル」であるこの作品、昔観た時はちっとも面白いと思わなかったんだけど、改めて観るとすごく興味深く、いろんな「気づき」もあったので、ツラツラと戯言を。


なんて自由でふざけた映画なんだろう。こんなのが62年前に撮られていたなんて本当にすげーや。
最初にカフェに入ってからのジュークボックスシーンなんてあれじゃん、俺が満点を付けている香港映画だ! もうにやにやして観てしまう^ ^ 映画ってこうやって繋がっているのだなぁと。そこからの画面に向かってのウインク!最高ですね。あと部屋の白い壁と間取りが絶妙なので、撮影もセンス抜群でどこを切り取っても絵になる。

ジャンヌ・モローもいるBAR(ジュールとジムは?って会話の意味がようやくわかった)で飲む食前酒ワイン・リキュールの【デュポネ】を早速楽天でネット注文♪
そこからのシャルル・アズナブールの歌の歌詞がマジひどすぎるwww

この歌詞もそうなんだけど、ゴダールの1作目から4作目までを改めて鑑賞してみて、よくよく考えるとフェミニストが観たら激怒するような作品群だね。インテリの左利き(部屋で読むユマニテ新聞)なのにミソジニーの糞野郎!って感じ。

ゴダールが徹頭徹尾自分のミューズを魅力的に撮るためにある映画。それがふたりにとって裏目に出るのは本当に皮肉だ。
彼女が枕をお腹に入れるシーン。ちょうどこの撮影中に実際にゴダールの子を妊娠したのだから、もはやそのまんまの脚本。その後のアンナ・カリーナの悲劇(流産→子供の産めない身体に→三度の自殺未遂→離婚)を考えると結果的にこの映画はなんとも切ない作品なんだよなぁ... でもそこから立ち直ってくれて2019年まで生を全うできて幸せな人生だったのだろう。

若い頃自分の理解力が乏しくて糞つまらなかった映画も再度しっかりと観ると印象が変わるのだ、と改めて気づきを与えてくれた作品でした。
tokiwa3256

tokiwa3256