過剰な不安を持って生きている世界は、魔術にかかる種なんじゃないかと思ったりします。
例えば力を持った魔術師がいて、その魔術師が
「呪ってやる…」
的な事を囁かれたらどうなるか想像してみます。
魔術、かかるんじゃないかな。
ポイントは魔術をかけられた事を、かけられた側が忘れないでいる事です。
魔術のことを覚えていると、友達が心からお祝いしてくれている。なのに
その笑顔があら不思議どうしてだろう。
悲しい顔に見えてきたりしたり、本当に祝ってくれているのか。
腹のなかでは蔑んでいるんじゃないか。
そんなふうに思ったりと、もしかしたら腹が立ってくるかもしれない。
そして人間関係もうまくいかなくなり
「あぁ、魔術をかけられたからだ…」と
魔術をかけられたことを本人が忘れないでいることで、日常に過剰な不安が混ざることもある気がします。
だから魔術は魔術の力でなく、自分自身でかけている魔術とも言えるんじゃないかなって。
魔術の仕組みは、その不安を過剰なものにすることでかかる種も仕掛けもあるトリックだったり。
だからこそこの映画の魔術は、、そんな感じです。
この世の中も魔術に溢れています。
勉強しないと不幸になるぞ。
これを途中でやめたら不幸だぞ。
なぜベストをつくさないのか。
また自分がかけた言葉が、誰かを魔術にかけていることだってないとは言い切れないし
もしかしたら自分にはねかえってきてるかもしれない。
それは親から子のように、愛する人であればあるほど、強力にかかる魔術かもしれません。
魔術の本が本物だったか偽物だったかわからないけど、実はきっかけにすぎなかったら、、そうやってみてみると面白いかも。
行為に魔術らしき本を落とし嵌めたかもしれないね。それはさすがにないか 笑
ライバルではなく双子の姉妹という設定にしたのも、なにかあったのかな
ブラックスワンが好きな人にお勧めです😀