ニューランド

チンパンジー属のニューランドのレビュー・感想・評価

チンパンジー属(2020年製作の映画)
4.1
つい7、8年前まで名前も知らなかった作家なのに、もてはやされてる中で自分もその気になってたが、はや飽き始めてる部分がある。なんというお調子者だと自分でも思うが、エンタ系は手を変え品を変え色々工夫を凝らしてくれるが、この手のものは確かに、またかとなる。しかし、本作は、構図·光と照明に、自然の稀なる描出に相当の人工的作り込みがあって美学·力学の(商業)映画の本道に近づいている。竹笹や枝木の細かな照返しや質感と、下に落ちる影の微細さと範囲の形、川·沢のきらめき·質もそうで、カット毎の流れの横·縦·斜の繋ぎも変化を持たせ、寄りめ·俯瞰め·ロー·人の前後出入りやOUT後の無人空間暫く、と余韻·余裕を持たせ、無音めから水流や風の音へ行き来、だいたい静かだが、鳥のガナリ声や興奮·逆上の人の声が場を急に引き裂く。殆どFIXだが作り話のシーンだけがカット群が続けて丁寧に手持ちで揺れてる、サービス?もある。何よりも、これまでも1シーン内のカット割は稀だか据えっ放しの位置が叙述内容を大きく落とす時は用いられてたが、今回のように美学バランスと共にドラマやストーリーの興味を繋ぎ高める為に(特に終盤)続けて行われたのは(あからさまでなく慎重に。一方ジャンプカットと云えなくないのもある)見た事がない。しかし、ぶっきらぼうなプリミティブな力も健在で、キネ旬投票なんかの対象に入ったらベスト5位にはいってもおかしくない、60年代後半を席巻したパゾリーニ·クラスの力量はある作品で、好みではなくなったと勝手な事を云ってるが、まわりを見るとやはり突出したものは保っている。ここのところ洗練され過ぎてきているが。
フィリピン特有か何か分からないが、カソリックが染み込んだ聖人的存在·そこからの傲りない振る舞いへの疑いない崇拝·続く敬虔さは、私は無宗教なのに感動させられる。それに対し異教·原始宗教の驚くべき残存の脅威が見え隠れするが、じつは前近代·近代以降の染みが重なって被統治者の意識に残ってた別ものと分かってくる。共同体や組織の収奪権力側·システムと、それに不満·不公平感を感じ、旧い観念とそれによって生きる年配者も持ち上げながら、汚い島と呼ばれるようになった利権·利得の掠奪物とその汚染の由来の存在の流れに立ち上がろうとする者は、システムにおもねり依存し働かず甘い汁を吸うことが体質化してる、同じ階層から足を掬われ·葬られ、半ば聖人化·伝説化していく内容は、日本の劇場初紹介作品とも類似点多いが、その悲劇に留まり、嘗ての並行しての自己矛盾の引き裂かれ面が弱く(出生·幼児引揚げられ世界巡業から、生涯虐げられる根っこと狂気を植付けられた、2人の初老先輩の内外に向けての葛藤の突出はあったが。金鉱採掘の下層労働から戻るのに村長らの搾取を避ける為、村の表口の港でなく裏から入ってくジャングル道を選んだ3人旅)、作者はフッと一般的な高級ブランド品扱いを望む方向に無意識にでも触れたくなったのであろうか。日本紹介以前、10年前、15年前は如何なる作品を作っていたのか、改めて興味がわく。
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