QTaka

そこからの光 未来の私から私へのQTakaのレビュー・感想・評価

2.5
”多発性硬化症”という難病と闘った人たちの姿を描いた映画。
治療法が現在も確立されていない難病を発症した実在の女性の姿が描かれている。
それは、 一人、その難病に苦しむのでは無く、自らも病気を克服しようとしながら、同時に多くの人々と共に歩む事だった。
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実在の人の、実際の姿を描くのであるから、自ずと表現やストーリーに制約が生まれる。
無いことは無いし、夢のような物語も実際では無い。
一方で、それを物語として映画にしようとするとき、フィクションでは無いなりに、観客への物語を創造しなければならないと思う。
そこが、実話の映画化の難しいところだろう。
正直、映画としてはどうかと思った。
それは、事実をなぞることを重視したためであって、おそらくそこに間違いは無かったのだと思う。
ただ、それは物語でも無いし、ストーリーも無く、観客にしてみると取り付く島も無いということになってしまう。
眼前のスクリーンを流れるのは、大学の講義の黒板のようになってしまう。
大切なことも、伝わらなければ残念なことになる。
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そこで、この映画の場合、観客を惹き付ける存在として、主人公達とは別の存在を置いたのだろう。
それが、物語の始めと終わりに登場する女性だ。
それは、この病気の症状を訴えて間もない女性で、講演会に初めて参加したという設定だった。
恐らく、この映画を見る方の少なくない割合の方がこの病気に関わって居られるのだと思われる。
この映画の中に、自らの姿を求めるとしたら、この講演会に初参加の女性の姿だろう。
そこに自分の姿を見つけたとき、映画の中に入って行ける。
この映画を見終わったとき、ラストシーンを終えたとき、その女性と同じく希望を見つけられるのかもしれない。
その女性を演じたのは、藤木由貴さん。
主要なキャストには名を連ねていないけど、短いシーンをきちんと演じられていたと思う。
女優としては、まだ新人に近いのかもしれないけど、重要な役どころを演じていたと思う。
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こうして見ると、映画は主役だけで成り立つのでは無いと分かる。
一本の映画の中で、あるシーンのあるカットが脳裏に焼き付くことがある。
はたして、それは監督や製作者の意図するところだったのか。
でも、そのカットが心地よく、あるいは後味悪く、ちょっとした衝撃と共に残っていればその映画は、私にとっての名画になる。
だから、それでいいのだと思う。
そのために、バイプレイヤーが居る。
そんな姿や、カットを見逃したくない。
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本作は、STAY HOME MINI-THEATERにて鑑賞した。
コロナ禍、緊急事態宣言下にミニシアターを応援するために始まったサービスだが、こうして突如として面白いものを出してくる。
レア映画が多いが、イイサービスだと思う。
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