Eegik

サマーフィルムにのってのEegikのネタバレレビュー・内容・結末

サマーフィルムにのって(2020年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます



2023/9/7夜 Primeレンタルでみた。

リア充、陰キャ、ヤンキー、SF、ショート動画、ラブコメ、時代劇、そして映画…… 全方位をうっすら(/思い切り)馬鹿にしているかんじがおもろかった。それが青春ってことなのかもしれない。
映画監督としての裸足と花鈴は、それぞれ未来と過去に向き合っている点で対照的なだけでなく、全方位を馬鹿にするか、それとも受け入れて肯定するか、というところにもあらわれているといえるか。(まぁ終盤の裸足をみると微妙だが)

ブルーハワイと花鈴さんが好きだった。
海辺で花鈴たち映画部の撮影風景をみてひとりだけニコニコしているブルーハワイで、あっ好き!となった。『デデデデ』の凛ちゃんみたいな……。
花鈴さんはもう最初っから良いですよね。凛太郎とかマジでどうでもいいから! カップリングするなら裸足と花鈴でしょ~~と思っていたのが終盤で回収されてよかった。裸足なんかよりもよっぽど自分の作る映画に芯をもってるんすよね。かっこいい。裸足は映画を作る過程で落ちた恋(=自分)を最後に自分の映画にぶっこんだけど、花鈴は自分の恋ありきで映画を作り始めて貫徹している。

文化祭での映画の上映を中断して、その場でラストシーンを取り始める展開はさすがに映画を馬鹿にし過ぎだろう。演劇じゃねぇか。(スタッフロールで脚本がロロの三浦直之さんだとわかり、あっなるほど……wとなった。)
そこでの裸足の大立ち回りを撮るカメラはビート版の持つスマホではなく、カットも割られている。つまり、裸足はこのラストシーンを見せる対象として、その場にいる学生たちではなく、未来でこの映画を観る人々(=われわれ)を想定している。……じゃあやっぱり演劇じゃなくて映画ってことでいいのか?

そもそも裸足が映画に惚れ込んだ理由は、お祖母ちゃんからずっと聞かされていた時代劇の人物を画面のなかに見つけられたからであり、はじめから映画という虚構そのものに衝撃を受けたわけではない。それを鑑みれば、映画をぶっ壊してマイクパフォーマンス(祖母と同じ「語り」)で自身の思想をペラペラとくっちゃべるのも頷ける。裸足は映画監督には向いていない。だってほんとは映画が好きじゃないんだもの。めっちゃ共感できる~♪

未来では映画がなくなっている、といっても、映画の内実がかなりミニマルに変容していて、受容する土壌もやせ細っている、ということだったのが結構おもしろい。映画文化・産業じたいが滅びたとか、昔の作品資料がぜんぶ消滅したとか、人類が映画史を忘却したとか、そういうことではないのね。

凛太郎にはマジでほぼ興味がないんだけど、見た目は裸足たち高校生よりもやや大人っぽいのに、未来の人間ってことは裸足たちよりもずっと年下(みんなに敬語だったのはだからか)なのが、高校生のひと夏の青春を描いた作品として倒錯していてややおもしろい。っていうのと、やっぱりどう考えても部外者の不審者なのにふつーに学校に入り浸っててウケるwっていうのがあります。

主演のひと、誰かに似てんな~~と考えていて、ラランドのサーヤさんだと分かって気持ちよかった。(元)アイドルなんか~いw どうりで演技がアレだと……

あとCody・Leeのこの曲、これの主題歌だったのか~~
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