Jeffrey

狂走情死考のJeffreyのレビュー・感想・評価

狂走情死考(1969年製作の映画)
3.5
「狂走情死考」

冒頭、夜道を疾走する全共闘活動家の男。義姉の殺人、銃声に倒れた兄で夫。絶対的権力と活動家の隣り合わせ、二人の逃避行へ、夜の営み、雪景色、列車、死の思い、海。今、北へ北へと若者は歩を進める…本作は足立正男脚本を若松孝二が一九六九年に監督した十月二十一日における新宿騒乱のドキュメントと疾走する主人公から始まり、大島渚の同じくロードムービーである大阪の当たり屋を軸に描いた「少年」の撮影と併行しながら、激しい吹雪の中二人で彷徨歩く風景が圧倒的と表された一九六八年の出来事を映像に収めた秀作である。この度DVDを購入して再鑑賞したが、日本の封建主義的な男社会の中で、自立していく女性の姿を若松的メロドラマの感触で描いた作品で、議論を巻き起こしていく風景論の到来を予告したとされ、国内で話題になったー本との事である。

さて、本作は一九六八年十月二十一日の国際反戦デイにおける新宿騒乱のドキュメンタリーを中心に、全共闘が展開する各地でのデモの記録映像でスタートする。そこに主人公の強い調子の文章や演説などによって人々の気持ちをあおり、ある行動を起こすようにしむける扇動があり、機動隊と激しくぶつかり合うショットが挿入されていく。新宿と言う街を重層的に捉える地政学的な洞察力を見出した若松浩二の力作と言う感じがする。そして西新宿から北海道は子樽まで物語は拡張していく。この作品は脚本家の足立正男の制作意図が感じ取れる。メロドラマの中にあえて家族の中の権力構造を重ねている。

活動家の弟と兄の微妙な関係を描き、互いの立場の違いを何とか関係を保って来ていたが、冒頭の主人公である弟が新宿騒乱から負傷して帰宅したことによって、互いの溝が広がり、義理の姉が誤って兄の腰につけていた拳銃を手に取り殺してしまう。その壱発の銃弾が物語を加速させていく。いわゆるその暴発は必然的に起こってしまうのである。決して偶然なんかではない。この図式的なまでの活動家と権力者の隣り合わせのフィルムがなんとも面白い。

ネタバレになるためあまり詳しく言及する事は避けるのだが、このーつの宿命として迫ってくる二人の(義理の姉と弟)愛の形は家族主義的共同体に〇〇の存在で回収されてしまう結末を待っている。この重層的な政治性を描いた本作はどれだけ二人で逃避行して移動し続けたとしても、その〇〇からは逃げられないのである。こうして若松映画を特徴付ける雪の場面、吹雪が舞う中を二人が彷徨歩くシーンの美しい場面が印象的に作り出されていく。この長野、新潟、秋田、青森、北海道、若松の実家である宮城で行われ、大島渚の同じくロードムービーである「少年」の撮影と進んでいく。どうやら大島とも新年会をしたとかなんとか…記憶があやふやだがそういった話もあったと思う。



さて、物語は全共闘活動家の男と彼の兄である警察官の夫を誤って撃ち殺してしまった義姉とが、北へ北へと逃避行を続け、これまでお互いに押さえつけてきた愛を確かめ合いながら、ついには生まれた故郷にたどり着く。本作は冒頭に、資料映像が映り込み、男が夜道を駆け抜ける描写で始まる。そのファースト・ショットの次の時点で、いきなり殺人と言う急展開が待ちうける。主人公(弟)の名前は左兵。兄の名前は勲である。家に戻った左兵は、刑事である勲と運動をめぐっての口論を始めてしまう。

もみ合いとなり、兄が弟を激しく暴力するのを見かけた義理姉が止めようとして拳銃を暴発させる。すると彼は死んでしまう。弟は兄の死を自殺に見せかける工作をしてアリバイ作りのために、姉を温泉へ連れて行く。そしてしばらく経ってから家に戻り、兄の死体を見つけるよう指示する。罪の意識から姉は、列車に飛び込もうとするが、間一髪で左兵に助けられる。左兵は、姉だけが罪を感じる必要はないと言う。それでも死にたいと言う姉を左兵は、崖へ連れて行き本当に死ぬ気があるなら飛び込めるはずだと詰め寄り始める。姉は泣き崩れ、そして左兵と姉は二人でさらに北へと逃避行を続けていく。


旅館に泊まっている二人は、新聞に兄の事件が載っているか確認するが、記事はどこにもない。再び、自らを責める姉を左兵は優しく抱擁し、これまで押さえつけていたお互いの愛を確かめあう。左兵と姉は雪の海辺にたたずんでいる。弟は、海に向かって演説をし、姉はそれを優しく見つめている。すると突然海から赤いふんどしー丁の変態男が上がってきて、二人を追いかけ回す。弟が男と揉み合っていると姉の姿が見えなくなる。姉はまた罪の意識にさいなまれ始める。二人は雪景色の中をさらに北上する。姉は洗面所で嘔吐して部屋に戻ると左兵への愛のために意図的に勲を殺したのではないかと自問する。

左兵は、革命的に勝ち取った自分たちの愛の深さを説き始める。翌日、二人は産婦人科へ足を運ぶ。ところが想像妊娠だったことがわかり、勲の自爆から解放され、一人の自由な女となった姉は弟への愛をよりいっそう激しくしていく。そしてさらに北へと北へと向かう…。二人が山奥の湖のほとりにある小屋の中で抱き合い、地の果てまで来たことを認識する。そこで裸の女が男たちに追いかけられている場面に遭遇する。弟は止めに入るが、女は古くから伝わる村の掟を破り、外の村の男と駆け落ちした罰を受けなければならないと告げられる。女の境遇と自らのそれを重ねる左兵と姉は激しく反発するが、村人は女を連れ帰っていく。街に戻った二人は、故郷である子樽へ帰ることを決め、船と乗り込む。船内で、二人は勲らしき人物を目撃する。

驚いた弟は、その影を追い、隙間なく探し回るが見つからない。姉は、また自らの罪を口に始めるが、仮に兄貴が生きていたにせよ、二人で生きていくことを確認しながら故郷へと向かい始める。馬ぞりに乗り、実家へと向かう二人は、村人から兄が先に到着していることを知らされる。勲が生きていることがはっきりとわかった弟は、決着をつけようと歩を進めるが、姉は驚きを隠せない。そして二人の前方に兄の姿がある。弟は姉と自分の愛が本物であることを説明しようとするが、勲は一切耳をかさない。


そして兄に自分のもとに戻るよ命令し、姉もそれを選ぶが兄に激しく殴られる。弟は止めに入るが、兄に夫婦の間の問題だと一喝され、手が出せない。弟は元の関係に戻ってしまった兄と兄嫁の二人が去っていくのをぼう然と見つめながら、雪の中を彷徨歩いていく…とがっつり説明するとこんな感じで、兄夫婦の家に住まわせてもらっている自立のできない左翼の兵隊(名前から想像がつく)の男の物語である。



いゃ〜、父親が死んでいると言う設定になっている分、警察官である兄貴の存在感が強く、また兄嫁を好きでいる弟が性的な欲望を持っているにも関わらず、口に出すことができず制圧的な状況に追い込まれている描写が何とも言えない。それにしても警察官である兄が家庭内でも腰に拳銃をつけているのはどういうことだろうか、普通はありえないだろう。最初から弟を不安視しているのか疑っているのか信用していないのか、自分の身に危険がいつのひか来るのではないかと言う考えがあったのか、色々と想像してしまう。この超自我的存在はすごかった。んで、雪景色が美しいのと主演の吉澤健のハンサムさにびっくりする。戸浦六宏が初っ端から死んでしまうのも驚く。まぁきちんとオチはあるんだけど。雪景色といえば若松の子供時代に腰につかるまで雪道を歩いたと言う思い出があるそうだ。

若松映画には取り囲んで死刑にする光景をよく描いている場面がある。それとこの作品は「赤い犯行」とは真逆の展開で終わる。詳しく言うとネタバレになるためあまり言えないが、それにしても雪道の中央で仁王立ちになって待ち構えている兄の存在(なぜ生きているのか)が不在のまま展開するのも賛否両論あると思うが、若松にとっての北へ進む若者たちの(なぜ北へと進むのだろう)を問いかけるのは彼の故郷が関係するのだろう。あと戸浦六宏ってバリバリの極左だと思うのだが、よくこの逃げ回る青年を主人公にした映画に出たなと思う。大島渚映画の常連役者だったが暇を持て余していたのだろうか…笑。
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