きゃんちょめ

パリの調香師 しあわせの香りを探してのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

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【触覚は現実に近い】
「アートは基本的に「視覚」と「聴覚」だけで、「触覚芸術」「嗅覚芸術」「味覚芸術」というものはないんです。なぜなら、アートは現実から切り離されたものだから。[...]触覚、嗅覚、味覚は、より直接的に身体に影響がある感覚なんです。だから、「現実に近い」と考える。」(三浦俊彦著『東大の先生!超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』p.64)

【ルーチョ・フォンタナ】
「たとえば赤瀬川原平が批判していたアーティストにルーチョ・フォンタナという人がいて、彼はキャンバスにカッターでパッと切り込みを入れるんですね。1個だったらたしかに面白いなぁと。でも、私もフォンタナ展に行きましたけど、同じようなものがずらっと並んでいて、それが1枚、何千万円もするんですよ。」(三浦俊彦著『東大の先生!超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』p.81)

【アートだったらなんでも許される】
「以前、会田誠という現代画家がSNSで叩かれました。美大の公開講座で芸術論を語った際、性的・暴力的な描写の画像を映しながら下ネタを連発したんです。もともと彼は性描写が強い作風で有名なんですけど、あろうことかその講座を受けた女性が、学校法人を「セクハラ」で訴えた。すると今度はSNS上でも「作品を見たけど吐き気がした」「女性蔑視だ」とか、騒ぎ出した人たちがいるんです。「アートだったらなんでも許されるのか!」という意見もあったみたいですけど、許されるんですよ。たとえば異文化を尊重すべきだという倫理観を持っていても、女子割礼のような非人道的な慣習はなかなか受容できませんよね。ただ、アートのなかでは許されるんです。「女子割礼こそ最高の倫理だ」と表現する小説や映画が堂々と存在していい。現に、暴力や殺人を扱った作品も数えきれないほど存在しています。多様性を無制限に認めることができるのが、アートの世界なんです。特に現代アートは「現在進行形の価値観を問い直すもの」だから、世間からするとマイナスの価値を持ったものが非常に多い。現実にいい影響を及ぼすか、現実を堕落させていくか、それはわからない。でも「わからないから」というのは、アートの表現を排斥する理由にはならないんです。」(三浦俊彦著『東大の先生!超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』p.98)

【マイノリティは純粋性を求められがち】
「バリ島に旅行して現地の音楽を聞こうとしたのに、ピアノやバイオリンで優雅に演奏されたら、どう思います?「おい、金返せ」(笑)。でしょう?(笑)。でも、西洋の音楽家がバリ島のガムランを使ったり、日本の尺八を使ったり、アフリカのカリンバを使っても、誰も文句をいいません。つまり、マジョリティに対しては何も要求しないのに、マイノリティに対しては純粋性を要求しがち。枠にはめようとするんですね。アートに限った話ではないでしょうけども。」(三浦俊彦著『東大の先生!超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』p.134-p.135)
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