Dick

デニス・ホー ビカミング・ザ・ソングのDickのレビュー・感想・評価

4.8
1.はじめに:香港と私

❶1971年を皮切りに、出張や個人旅行で何度も訪れている香港は、アジアの中では、駐在していたタイに次いで、思い入れの強い地である。

❷映画でも馴染み深く、これまでに観た香港映画は、今は無きショウ・ブラザーズやゴールデン・ハーベストの黄金時代の作品から、中国資本に買収されて活気がなくなった最近の作品まで、数百本になる。

❸最後に香港を訪問したのは、1997年7月。150年に及んだ英国統治から、「一国二制度」の原理の下、主権が中国に返還され、特別行政区になった7月1日から9日後のことだった。

❹6月30日には、チャールズ皇太子、江沢民国家主席、トニー・ブレア首相、李鵬国務院総理の出席のもと、盛大な返還式典が行われ、世界各国に中継放送された。この時の華やかな花火は今でも記憶に残っている。

❼この返還を歓迎する人はいたが、香港の未来について、不安を持つ人の方が多かった。それから約20年、香港市民の不安が現実になりつつある。中国が世界に公約した「一国二制度」を反故にして、中国中央政府の完全支配下に収める画策を進めだしたのだ。

❽香港の民主主義は消滅させられたのだ。悲しいが、もはや元に戻ることはないだろう。


2.マイレビュー:ネタバレなし

●作品概要(出典:公式サイト)
①香港に自由を―アジアを代表するスター歌手。熱狂と再生のドキュメンタリー。 2014年に香港で起きた「雨傘運動」。警官隊の催涙弾に対抗して雨傘を持った若者たちが街を占拠したこの運動に、一人のスーパースターの姿があった。彼女の名前はデニス・ホー。同性愛を公表する香港のスター歌手である彼女は、この雨傘運動でキャリアの岐路に立たされていた。彼女は、中心街を占拠した学生たちを支持したことで逮捕され、中国のブラックリストに入ってしまう。次第にスポンサーが離れていき、公演を開催することが出来なくなった彼女は、自らのキャリアを再構築しようと、第二の故郷モントリオールへと向かうのであった。スー・ウィリアムズ監督による長期密着取材によって浮かび上がるのは、香港ポップスのアイコンであった彼女が、香港市民のアイデンティティと自由を守るために声を上げる一人のアーティスト、そして民主活動家へと変貌していく様である。その物語は、歪な関係にある香港と中国、過去30年間の情勢を見事に反映している。 そして、2019年6月。香港で逃亡犯条例改正に反対するデモが起き、彼女は再び岐路に立たされた。数百万のデモ参加者が街頭に繰り出した時、彼女は催涙ガスと放水砲が飛び交う通りに立ち続け、デモ参加者を守ろうとする。そして、国連やアメリカ議会で香港の危機的状況について訴え、自由と民主主義を守ろうとする人々の姿を世界に発信していくのだった。自由を求める香港の人々の声が、デニス・ホーという存在に重なり、その願いが一つの歌となって響き渡る。映画の幕は閉じるが、香港の闘いはまだ終わっていない…。
②本作は香港での公開が難しく、アメリカでは新型コロナウィルスの影響で劇場公開されなかったため、日本が世界初の劇場公開となる。

❶相性:上。
★スターの地位よりも、行動することを選んだ主人公のデニス・ホーさん(以下、デニスと略す)の勇気と実行力に、心からの敬意を表します。

➋2014年の民主化デモ「雨傘運動」に関して、日本のマスコミ情報では、学生リーダーの黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(当時22歳)と周庭(アグネス・チョウ)氏(当時22歳)の2人が有名である。

❸しかし、本作を観て、指導的役割を果たした有名人が数人いたことを知った。その中のトップが本作の主人公、デニス(当時37歳)である。
①デニスの略歴(出典:Wikipedia他):
ⓐ1977年香港生まれ。11才の時に家族とカナダへ移住。
ⓑ9才の時にコンサートで見たアニタ・ムイ(梅艷芳)に夢中になり、1996年に香港の歌唱コンテストに出場したことがきっかけで歌手の道へ。
ⓒ敬愛するアニタ・ムイへ弟子入りし、1999年にはアニタ・ムイのアルバムでデュエットしたコンサートに参加。 
ⓓ2001年、自身のレーベルを立ち上げ、数々の音楽賞を総ナメにして香港音楽シーンを賑わす存在に。以後香港ポッブスの中核を担う歌手としてワールドワイドに音楽活動を続ける中、映画や舞台など女優としても活躍。 
ⓔ2007年「何韻詩慈善基金(HOCC Charity Fund)」を設立、香港では数少ない社会運動に積極的に参加し主張するアーチストになる。
ⓕ2008年、社会問題をテーマにしたアルバムを出し、さらに積極的に社会運動に力を注ぐ。
ⓖ2010年にリリースした初の国語(中国語の標準語)アルバムは、広く中華圏で大ヒット。コンサートなど中国本土での活動も増えていく。
ⓗ2012年、LGBTパレードに参加して、同性愛者であることを表明。香港の女性芸能人で初のカミングアウトとなった。
ⓘ2014年、雨傘運動に参加し最前線で座り込みを続けて逮捕され、俳優のチャップマン・トー(杜汶澤)や音楽家のアンソニー・ウォン(黃秋生)(注1)と共に中国から封殺される。中国での仕事が出来なくなり、所属していたレコード会社や世界ブランドとの契約が破棄される。

(注1)本作のアンソニー・ウォン(黄耀明、1962年香港生まれ)はミュージシャン、音楽プロデューサー。カタカナで同姓同名の国際的に有名な俳優、アンソニー・ウォン(黄秋生、1961年香港生れ)とは別人。黄秋生も「雨傘運動(革命)」への支持を表明したことが理由で、中国市場から締め出されている。

ⓙ収入の90%を失う痛手となったが、それでもデニスはひるまず、「インディーズ歌手」として、そして、「香港民主派」、「LGBTの旗手」として、グローバルな活動を行っている。
ⓚ2019年、ジュネーブで開かれた国連人権理事会では、中国の妨害を跳ね返し、香港の支援をアピールした。

★香港の自由のために、スターの座をすて、危険を覚悟して、行動しているデニスの勇気に心からの敬意を捧げたい。
★マスコミ報道では、タイ、ミャンマー等、幾つもの国で、デニスと同じように命を張って戦っている多くの人たちがいる。世界は、このような人たちによって支えられているのだと思う。

❹監督・脚本・制作は、1954年生れのアメリカ人女性のスー・ウィリアムズ。30年間に渡りドキュメンタリー映画制作に従事しているベテランで受賞も多い(公式サイト)。
監督インタビューによると:
①撮影期間は2018から2019年末まで。映画が完成したのは2020年3月。
②当時は自由に出来た撮影も2020年夏に成立した「国家安全維持法」によって、状況が変わってしまい、今では許可されなくなっている。
★今年になってからも、習近平政権に対する批判を続けてきた香港紙「蘋果日報(アップル・デイリー)(リンゴ日報)」が、6月24日付の朝刊を最後に発行を停止し廃刊する等、香港を取り巻く状況が更に厳しさを増している。
★なし崩し的に香港の自由と人権を奪っていく、習近平政権の有無を言わせぬ強引なやり方が恐ろしい。

❺もう一つの見所:デニスの魅力的で迫力があるコンサートのライブ映像
①本作のもう一つの見所は、スター歌手としてのデニスのコンサート映像である。
②数千人の大観衆と一体化したライブシーンが幾つも登場する。デニスのヴォーカルは西村美須寿の字幕付きで映し出される。初めて聞く曲ばかりだが、どれもが素晴らしい。胸を打たれる。
★デニスが日本で知られていないのは、日本でのコンサートがなかったためと思われる。日本ツアーがあれば、香港や中国と同様、大人気となったことと思う。
★そんなデニスの舞台を、今では香港や中国でも見ることが出来ない。強権政治は芸術をも破壊してしまうのだ。
Dick

Dick