るるびっち

あの夏のルカのるるびっちのレビュー・感想・評価

あの夏のルカ(2021年製作の映画)
2.8
『泣いた赤鬼』みたいな話。
でもその感動ポイントは一瞬で、全体的に平板で退屈。
色々と設定しているのに、なぜ詰まらないのか。
それとシー・モンスターに対して神秘性や畏敬の念が無く、単なる怪物扱いなのが現代的だがガッカリする。トトロやもののけとは違う。
同様に人間の女の子への憧憬を、ルカ(実はシー・モンスター)が抱かないのも即物的で詰まらなくしている。
人間って変、女の子ってもっと変、でも何故か会いたい! みたいな異性・異種族への発見が無い。
話に"魅力"という魔法が掛からない原因だと思う。
ジュブナイルとして、男同士の友情に少女が入ってヒビが入るのが良い。
青春に裏切りはつきものだが、そこはもっと深堀りして欲しかった。唯一良い点だったから。

詰まらない理由
①レースまで段取りが長く飽きる。
②敵役がありきたりで詰まらない。
③その詰まらない敵役と3回も喧嘩寸前になる。繰り返しで助長。
④肝心のレースに工夫がない。
⑤何よりシー・モンスターとして人間に無い能力で、マジカルな逆転勝ちをしないので心踊らない。
古いけど、『E・T』の自転車で最後に飛んでいくような奇跡を観客は無意識に期待していると思うが、まったくそこの需要を満たさない。
水に触れると正体がバレるという事しか、シー・モンスターの設定を生かしてない。そんなの最初の30分で飽きる設定だ。
最後に水中での凄い技を見せて貰えないなら、普通の少年の話で良い。

片腕の父親はてっきりシー・モンスターに腕を齧り取られたのかと思ったら、生まれつきだという。
多様性の時代に、マイノリティや障害者を排除しない視点ということだろう。
しかし、生まれつきという風にするとドラマが劇的にならない。
父親が腕を奪ったシー・モンスターを、見つけたら殺すと憎悪をたぎらせていた方が、ルカの正体発覚の危機感が増して面白い。
父親と反対にシー・モンスターに憧れて、一度で良いから会いたいと娘が願っているなら、正体を現したいが親父が怖くて見せられないというルカ側の葛藤に繋がる。
正体を単に見せられないよりも、「見せたいけど見せられない」と矛盾した方が遥かに切なく面白くなるのだ。ドラマってそういうもんでしょ?
そして実は腕を奪ったのはシャチで、むしろシー・モンスターは彼をシャチから救っていたと引っくり返せば、面目躍如でヒーローになれる。
シャチという強い悪役も仕込めるし、そうなればレースも盛り上がる。

父親の腕と同様、水中レースでシー・モンスターの活躍を封印したのも何だか色んな所に気を遣い、古典的なあざとい作劇を避けた結果のような気がする。そのせいで、結局はぬるく詰まらぬ凡作に陥ったと思う。
配慮すべきは平等性やマイノリティではなく、物語の面白さにこそ配慮すべきなのだ。その辺、今後もディズニー系の勘違いは続きそうだ。
ボバ・フェットの船を「スレーヴI(奴隷)」から「ファイアスプレー」に変更とか、物語のイメージを痩せさせる配慮だ。
こちらも「ミッキー」とは呼ばずに「ネズミ男」と呼んでやる!
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