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映画大好きポンポさんのstaysweetのレビュー・感想・評価

映画大好きポンポさん(2021年製作の映画)
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うーーーんいい評価が多いようだけど自分にはイマイチ…
ツイッターで漫画を見かけたことがあって、それは評論かオリジナル付近でコミケやコミティアに長くいる人が描いたもの、という印象だった。トーンや内容、題材への愛情がそういう手触りだった。
個人的に思うに、それがこの作品の一番いい状態だったのではなかろうかと思う。

しかしこの作品は、その題材どおり、映画になってしまった。
いわゆるアニメだけど、映画制作や映画への愛、こだわりが詰まった佳作だった!と、そういう感想を言えることを期待した。
しかし、わたしが受け取ったのは、映画というものの後味ではなく、「日本のアニメ」の域を出ないものでしかなかった。

まずもって舞台設定が中途半端。
映画制作のメッカということでハリウッド的な場所を借りていて、台本などに英語も入れてるのでアメリカを重ねることは避けられない。スタッフにラテンぽいのや白人ぽいのがいたりするので人種の概念もある世界。
しかし、主要キャラはおっさんを除いてみんな日本のアニメ顔。それでジーンとかナタリーとか言われても、出自や背景を想像できない。マーティンやじーちゃんはその見た目だけでポジショニングを想像できてそれが観客の理解や共感に厚みを足すのに、むしろ主要キャラにそれがない。
おっさんやモブは実在の人物のデフォルメと言える見た目なのに、主要4人(+アランとB級の監督、かな)だけは日本のアニメ文法の域を出ない。造形がチグハグ。服装や髪型が日本アニメの手癖のまま。それ、この作品世界に必要か?ポンポ“さん“とかミスティアとかって、どこ系の名前やねん。

また、映画愛を扱いながらもやりたいとこしか出してない感というか…何も考えずに観れる人ならいいかもしれないけど、本当は美術だとかもっともっといろんなセクションがあって、たくさんの人が絡んで並行していろんなことが走ってて、というかプロデューサーの付き人ならばそっち方面で駆けずり回るはずなのにこの主人公はポンと制作側のトップに据えられて製作側の動きや予算なんかはまるで見えてない。
まあそこは一旦置いとくとしてもだ。編集のときに絶対関わってくる音響・音楽についてまるで触れずして映画作りを語るとはいかがなものなのか。撮影が終わったら監督がひとりで籠って編集すれば映画が完成するなんて、ありえない。

つまり、「敏腕プロデューサーに導かれた未経験の若造がハリウッド的な映画の本場でオスカーを獲るほどの名作を監督した」と見せるには、映画界の本格度も、制作現場の専門性も、ハリウッド的舞台のリアリティもなくてそれだけの厚みがない。フィクションの閉じられたアニメ世界の中で学園祭か地方のローカルな映画祭にガチで挑んで賞を獲れましたくらいにしか見えない。
別に相当な映画好きでなくともアカデミー賞の様子を見たことがあれば、MCが陳腐な質問をして進行する場ではないことくらい知ってるはずだ。あの質問は物語的に必要だけど、壇上でやることで賞がワイドショー並みにしかならなかった。
そういうリアリティをことごとく踏み外すし、映画好きなら「わかる!」となるツボもない(原作にはあるんだろうなという気配はする)。そういう世界観の積み上げもせずにタクシードライバーの小ネタを入れている場合ではないだろう。ほんとに洋画好きでたくさん観てるひとたちが作ってる???と疑ってしまう。詳しくない人が見てもそれなりに面白く、ちょっとものを知った人が見てもその鑑賞に足る、そういうものであってほしかった。それがリアリティやエンタメであり、実際の現場へのリスペクトだと思う。

画面の見せ方は非常に意欲的で、実写だと陳腐になりそうでPVやCMでしかできなさそうなカット割や切替を多用している。また、カットを剣で切るというのもアニメならでは。
しかしそれらの演出が作中の映画制作と別にリンクしているわけではなくて、要素としてはバラバラ。むしろ、編集したことがあればあるあるな、「捨てきれなくてどうしても長くなってしまう尺を切る苦悩」をもっと丁寧に見せるとかのほうが必要だったことなのでは?

倒れたあとは、単純に無理して解決する。舞台がアメリカだしこれ訴えられるんじゃねということを逆転要素に持ってくる。シンプルと言うよりも、イージーでご都合主義を感じてしまう。なぜマーティンは出演してくれたのか?B級ばかり出てるミスティアがなんでそんなに評価されてるのか?そこに背景や個々人の理由のある作品世界ではなく、物語と主人公を中心とした都合のいい流れにしかなってない。なによりも、なぜここで監督された一本がそんなに評価される映画になったのか、説得に足る描写はない。
もっと主要キャラにフォーカスが当たって箱庭的に小粒のいい話で終われるマンガなら、気にならなかったかもしれない。でも映像に、しかも映画という長尺にして、主人公が挑む世界を大きく見せてーーとなると、そこにもっとリサーチを踏まえた設定、リアリティが必要だったんじゃないんですかね。


映画にかける情熱とその制作過程を描いた普遍的なものならば、そして、あぁハリウッドこんな感じだよねーと共感できるものだったならば、海外マーケットにそのまま出しても通用する作品になったんじゃないかと思う。
でも個人的にはこれは、「映画制作を題材にした日本のアニメ」の域を出ないものだった。
この作品、映画好きや映画に関わってる人間の共感を得られると思って作ってた??それとも、あくまでアニメファン向けの作品だったんですかね???(客はアニメ好きであろう若い男性が多かった)
それならそれでいいのだろう。映画好きや深夜アニメを観る層向きではなく、ニチアサとか、小学生が観てもわかるような作りだと思う。原作漫画はもっと渋いのに、夕方帯でアニメ化されたらなんかわかりやすくされちゃってるねみたいな…受賞シーンで主演男優/女優賞と最優秀賞しか出てこないのも、ポンポさんの造形もそんな感じだ。

しかし、もしわたしが勝手に期待したような作りだったならば。この作品の作り手の愛と情熱の先にある野望は、それこそ出来すぎたシンデレラストーリーの行く先は、《!!ハリウッドで実写化!!》ではないだろうか。
でも、これ、無理でしょ。アニメ然とした服(あのリストバンドなに?)に髪型。年齢、国籍不詳。実写化に適する、耐えうる作りではないのだ。そこで「実写版」を作れば、見た目の強さや破天荒さはどんどん失われていき、元のポンポさんではなくなっていく。せいぜい長靴下のピッピくらいの見た目になるんだろう。箱庭的だった話をド本場まで引き上げて、彼女がその環境で敏腕だとまで見せられるとは思えない。実写に適するファンタジー性とそうでないものがあるのだ。

「映画好きで実力もある破天荒なキャラクターに仮託することで、製作現場のあれこれを描きたい映画好きによるネタを詰め込んだ作品」ということであったなら、マンガかテレビシリーズで彼女の日常にあるあれやこれやを見せるというのがいちばんいいフォーマットだったんではないだろうか。そのシリーズの中で、視聴者と作品世界や環境が共有されていく。
“よくできたものは小説やテレビや映画などになって展開される“けれども、それぞれのフォーマットで適した描き方というものがあるんですよ。TVアニメを劇場で観たら映画の感覚で観れるかといったらそんなことはない。映画では、長尺の中で展開する事件的なスケールや起承転結が必要になる。大きなスクリーンで見せるダイナミズムが要る。そういうものに充てるにはこの原作はちょっと小粒だったんじゃないだろうか、映画にするならばもっと違う手の入れ方をするべきだったんじゃないか、とわたしは感じている。


また、ここに書くのは蛇足かもしれないが、前述の「手癖」の域を出ない作品ばかりが国内マーケットに溢れていることが今後の業界への不安を感じさせる…コンテンツ市場に国際感覚を持つ人間が足りなさすぎる。なんで洋画で土下座させてなんの疑問も持たないの?(日本の実写でもしないよな、土下座ってアニメや漫画の中で機能する記号って感じ)
“日本のアニメ“は質が高いからそのまま作れば持て囃してもらえるとでも思ってるのかな…舞台をアメリカ的なところにしてあるから世界の誰にでも見やすいハズだなんて思ったら大間違い。日本のマンガアニメ文脈から全く踏み出さず、“想像上の海外“をなんとなーく取り入れて、リアリティのなさは架空、ファンタジーで片付ける。そこに海外の人間がリアルさや親近感を感じるわけないだろ。ニホンのイメージをパッチワークされたキルビルに感じるのは日本じゃなくて日本風味(をやりたかったんだね…というきもち)だろ。そういうことだよ。
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