一休

声優夫婦の甘くない生活の一休のレビュー・感想・評価

声優夫婦の甘くない生活(2019年製作の映画)
3.2
この作品は、10月から始まった『ジャン=ポール・ベルモンド傑作選週間』を観に行った時に宣伝していて、その時から「これは期待できる!」と思っていた作品だった。

1980年代終盤は、ソ連がいわゆるグラスチノスチで自由化を前進させ、1989年にベルリンの壁が崩れると、ソ連・東欧に在住していたユダヤ人たちが「祖国イスラエル」へと大量に移民してきた時代だった。
その波に乗って、ソ連で声優として確固たる地位を築いていたビクトールとラヤ夫婦。
イスラエルへ来ても、ロシア語での吹替えの仕事があると見越していたのに、イスラエルはもちろんヘブライ語の国であるし、ロシア語へ吹替えるという仕事そのものがほとんどない。
目論みがすっかり外れた形のビクトールであったが、日銭を稼ぐ仕事につきながら、いつかは自分の思う通りの吹替えの仕事に付けると信じている。
ラヤは「声に自信のある女性募集」という新聞広告の仕事に行ってみると、それはテレクラのサクラの仕事であった。最初は断ったのであるが、ビクトールの仕事が順調になるまで稼がなくてはならないと一念発起して「マルゲリータ」という偽名でやってみると、さすが声優、電話の向こうの男たちの評判がよくなり、終いには新聞広告の宣伝文句になるまでになってしまった。
ビクトールはたまたま入ったロシア人向け貸しビデオ店で、かつて自分が声を吹き替えたダスティン・ホフマンのセリフを完ぺきにこなす。
それを見ていたビデオ店の女主人は、ビデオの吹替えの仕事でビクトールを雇い入れるのだが、それは映画館で違法に録画したビデオを貸し出すという仕事であった。
「一緒にやろう。」と言われたラヤは、違法ビデオ作成の仕事である事を理由に断り、夫に内緒にしているテレクラの仕事を続けるのであった。

夫のビクトールは、声優である自分の仕事と、吹替える映画そのものに芸術性を求めるこだわりを持っている。
それゆえに、イスラエルでの舞台の仕事などはどうにも不向きで、演出家とも上手くいかない。
彼が「最高」と折り紙を付けるのは、何と言ってもフェデリコ・フェリーニだ。
ソ連時代に、危うく検閲で上映禁止になる所だった【フェリーニの81/2】の上映を政府筋に上申し、ソ連での上映を許可され、モスクワ映画祭での受賞にまでこぎつけたとこで、ラヤとフェリーニで一緒に撮った写真を大事にしている。
単に中二のオタクなのだ。(笑)

ラヤはというと、自分の気持ちには目もくれずに、声優である自分を追い掛けるビクトールと話をしなくなり、テレクラに電話をかけてくる男ゲラと深い話をするようになる。
ついには、会って欲しいという彼の言葉にほだされて約束の場所に来たゲラを遠くから眺めて見る行為をしてしまう。
そんな、夫婦の空回りと沈下具合を淡々と映していくストーリーだ。

ラストまで、映画としての山・谷は無いに等しいので、ちょっと評価は低めである。
それどころか、オープニングからすっかり谷に降りてしまっていて、ず~っと谷をウロウロしている状態だ。
しかし、思い出してみると【道/ ラ・ストラーダ】も【カリビアの夜】も登場人物たちはずぅ~~っと谷をもがき歩いて、ラストになって何かが好転するわけでもなくエンディングを向かえている。
この作品は、フェリーニのそういったものを踏襲しているのかもしれない。

声優夫婦の生活ということで、オイラの頭の中ではどんどん日本語吹替えに変換されていて、ビクトールの声は小林清志さんで、ラヤの声は小原乃梨子さんで進んでいく。
ビクトール役のウラジミール・フリードマンさんは小林清志さんに似ているわけではないが、ラヤ役のマリア・ベルキンさんは、なんだかお互いの若い頃が、小原乃梨子さんと似ているように思えるのだ。
小原乃梨子さんも、【ピンクの豹】や【ウエスタン】のクラウディア・カルディナーレや【キャット・バルー】でジェーン・フォンダの声を当てていた頃の写真は、その色っぽさと違って見た目がキリっとしていた気がする。
もう日本語吹き替え版の担当が決まっていたら失礼かもしれないが、現在だと屋良有作さんと三石琴乃さんかなぁ~と勝手に脳内変換している一休なのであった。
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