ネノメタル

Cosmetic DNAのネノメタルのネタバレレビュー・内容・結末

Cosmetic DNA(2020年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ウイルスや戦争や憎悪やハラスメントで蔓延するこのゴミのような世の中に真っ向から銃撃戦を挑むような怒涛の映像アートと爆音の嵐に一瞬たりとも目を逸らさず固唾を飲んで見守った109分

💊Overview
去年の秋頃だろうか、東京でかなりインディーズ映画ファンによって話題になっていて評判も高くて、本作はいち早く観たいと思っていたが満を辞しての大阪での上映@大阪九条のシネ・ヌーヴォ初日(3/26)である。
と言うことで個人的に期待値がかなり上がってて、逆に妙に期待はずれになったりしないかと不安感すらあったのだが、もはやそんなハードルなど軽く超えるぐらいの物凄い作品だった。
本作はこれまでの人生で観た映画中で最高最強の衝撃作、というか潜在意識化でこういう作品を希求していたのかもってくらいのインパクト。

そんな衝撃作品、『Cosmetic DNA』のストーリーはざっと
「東条アヤカ(藤井愛稀)は、コスメ配信を主なきっかけとして配信視聴者である理系の大学院生のサトミ(仲野瑠花)と、やがて、彼氏と同棲中のアパレル店員のユミ(川崎瑠奈)と出会い、いつしか3人は仲良くなって、いろんなことを語り合うように。そんなある日、アヤカは自称・映画監督の柴島恵介(西面辰孝)からナンパされ、昏睡薬を飲まされ、ホテルに連れ込まれレイプされてしまう。そんなこともあってかなり凹んでいたアヤカは、更にその柴島はが今度はユミを襲おうとしていることを知る。「許せん!!!!!!」はらわた煮えくり返ったアヤカらはとうとう柴島を暗殺しようとする。」

と言うこのサマリーからも予想できるようにかなり過激な要素や描写もあったりもするのだが、そのストーリー展開の下地にあるのは女性達が古い価値観に囚われずに自らのアイデンティティを確立するようなあの香水等でお馴染みCoco Chanelの生き方的スタンスはあったりするのだろうと言うのは本編でも彼女の名言が引用されていることからも明らか。だが、本作はその種の映画にあるシリアスさに傾倒するのではなく、何より世に蔓延る全ての「ハラスメント」要素(「セクハラ」「パワハラ」「モラハラ」「スメハラ」など…)に対し中指を突きつけるが如くの怒りをベースに極彩色に塗りたくった所謂【映像のエレクトロパンク】を体感すると言ったエンタメ色の強い趣になっているのが大きな特徴である。

やがて、この醜悪なパリピ男の権化のような柴島恵介はこの3人によって無事に(?)殺害されて、彼から流れ出るドロドロした真紅の血液が実はコスメとして引き立つ、みたいなよくわからん設定があったり、男性との生殖行為無しで、女性がこれを飲むだけ妊娠できるみたいな不思議なドラッグを理系の大学院生であるサトミが発明したり、ドラッグに耽る描写や、エキストラ大殺戮みたいな場面もあったりと、とにかく倫理観もかなぐり捨てて突っ走っていく感じはどこか奇しくも藤井愛稀氏も出演している阪元裕吾監督の『黄龍の村』や『最強殺し屋伝説国岡』にもあい通ずる側面があると思う。
とは言え、こっちの方はまるでストーリー展開とか伏線回収とかは置いといて、まるでミュージックビデオ(MV)でも観ているような映像のアート性を込みでガンガン突っ走っている感が強く、正に、ここ最近のウイルスや戦争や憎悪や嫉妬やマウント欲求やらハラスメントで蔓延するこのゴミのような世の中に真っ向から銃撃戦を挑むような怒涛の映像アートと爆音の嵐に一瞬たりとも目を逸らさず固唾を飲んで見守った109分、と断言したい。

💊💊Impressive Aspect
で、先ほどMVに近いと言ったが…そこでふと思い出したのが主に90s以降から今もなお、イギリスのオルタナ・ミュージックシーンの核としてとして活動を続けている全世界でトップに君臨し続けているパンクロックバンド「Primal Scream」の存在である。
 彼らの曲の中でも『Country Girl』『Swastika Eyes』などの女性たち(一部微妙なひといるけどw)が主人公となって男社会をぶっ壊すみたいな展開の、あの辺りのなんでもやっちまえ感溢れるエレクトロ・パンク・ダンスミュージック(書いててよくわからなくなってきたぞw、それだけ本作は説明的ではなく体感的効果の方が大きいと言うこと。)のMVのような曲世界に何らかのカタルシスを見出したことのある人間にはどハマリだと思う。
てか私が正にそうだから(笑)
 あと本編に絶えず出てくるのがクラブで踊るシーンだけれどEDM系統の音楽と東条アヤカらがコスメをバキバキに決めて闊歩するシーンなども非常に印象的で、どこかしらあの伝説のEDM分野でのプロデューサー兼DJであるAviciiの『Wake Me Up』MVのストーリーも彷彿としたり。
まあ確かに『Wake Me Up』はレイシズムの問題も多少は内包しているようでややシリアスではあるんだけどあのMVで女性が放つ「Somewhere we belong(本当の私たちのあるべき場所へ)」と言うメッセージは本作と確かに共有できる部分はあるかもしれない。
にしても『Country Girl』にせよ『Wake Me Up』にせよ、本当の自らを取り戻す的な内容のMVってなぜカントリー調というかカントリーを音像として取り入れたものが多いんだろうな、やはり「本当の自己=原点回帰=カントリーミュージック」って図式が無意識の内にそれこそDNAレベルで流れてたりして。まあ本編ではこの3人がアイドルになるという設定もあってアイドル楽曲が大々的にフィーチャーされている点が違いと言えば違い。
 そして、本作鑑賞時は大久保監督と藤井さんらの出演者らの舞台挨拶付きだったのだが製作費に関して厳しい側面もあったようでアイドルのMVにおける映画撮影シーンにエキストラを雇えなかったというの事情がったらしいが、このエキストラの代用がなんと段ボールで、そこに書かれたオタク達のイラストレーションがアニメのような動きで本編では使用されていたのだが、怪我の功名ってかこれが逆にめちゃくちゃ良い効果をもたらしてたと思う。このエキストラ・段ボールアニメは本物の人を用いるよりも、「キモオタ」「アイドルオタ」達の中に渦巻く混沌とし下心だとか承認欲求だとかそういう薄汚い感情の部分のみが露呈されたような醜悪さが引き立つ効果が内包され、むしろシニカルでアイロニックな意味合いや効果が高められているように感じた。
簡単に言えば段ボールアニメの方が世の中への怒りの部分が表現されているような気もする。
あと人の嘔吐物や血液はこれでもかってくらいドロドロにめっちゃ忠実に再現してたんだけど(笑)

あとあとついでに気づいたんだけどあの3人がアイドルが歌う場面で下に歌詞が出てくるんだけどcollectionっていう綴りがcolectionとタイポになってたのは意図的だったのかな?っていう細かい疑問も備忘録としてここに記しておく。

💊💊💊Concluding Remarks
ここ最近本作「Cosmetic DNA」にせよ、のん監督「Ribbon」にせよ、阪元監督「ベイビーわるきゅーれ」にせよ、どこか現代社会や世相に対する怒りが基盤になって噴出している自分好みの所謂オルタナティブな作品が多くてとても嬉しい。しかもこれみんな20代半ばぐらいの若い監督ばっかでそこに凄く希望や頼もしさすら見出したりしてる。舞台挨拶でも大久保監督は「映画というのはありのままをストレートに映像みてそのまま解釈するのではなく、観た人がどう感じるのかが極めて大事なことだ。だから醜悪なシーンや不快なセリフなども本編で取り入れたりしたのは、なぜ不快に思ったのかガンガン悪口でも書いてほしい。」とか言ってたが映画でも音楽でも演劇でもなんでも良いんだけど、昨今の「褒め言葉ばっかり言い合ってSNSで徒党を組んで傷の舐め合いみたいないいね合戦をしがちなファンダムコミュニティが主流になっているエンタメ業界において稀に見る圧倒的発言である。
あと大久保監督は「映画とは観ているその時ではなく観終わった後、帰りの電車の中であれこれ何を思うのかが全て」だとも仰ってたな。
これってもう圧倒的な名言だと思う。
だから彼ら若い映画監督がもっと主流になって今後の映画業界を支えてくれ流ような土壌をガンガン与えてくれまいか。
ちょっと本論から外れるが、最近ちょくちょく出てくる某監督兼俳優やベテラン俳優らに関して某雑誌記事砲発端の芋づる式に出てくる醜聞ラッシュにはもううんざりしているのだ。とっととああ言う連中は消え去ってくれ。代わりにこういう映画愛に溢れた完膚なきまでの若手達のエンタメ精神に満ち溢れたオルタナティブな姿勢を持ったインディーズ映画で映画館のタイムスケジュールで満たしてくれと。
『猫は逃げた』のレビューでも書いたが、作り手が誠実に作ってるのかヨコシマな下心ありきで作ってるのかってのは透けて見えるもんなんだよ、マジで映画ファンを舐めんなよ。

あれ、ついつい横道剃れたついでにまた逸らすが、本レビューでは音楽作品との類似性に触れたんだけどなぜ、若いベテランか関わらず音楽家の作品にはそういう怒りや、アングスト(苦悩)のこもった作品って出てこないんだろうと言うのは兼ねてからの疑問でもある。それはいまだにマーベル、DCなどの海外の大規模な作品でもNirvanaの楽曲が重宝されるハリウッドでも同じ事。
 それが個人的には不思議かつ残念ですらある、と言う雑感もありつつこうしたインディーズオルタナティブ映画の盛り上がりに期待しつつレビューを締めくくろう。
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