阪本嘉一好子

Once Upon a River(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

Once Upon a River(原題)(2019年製作の映画)
4.8
川、そこがマーゴ(Kenadi DelaCerna)の行き場。ここでどんな形でも生きていける。
落ち着けるところで、彼女の探し求めていた家という印象をこの映画を観終わって思った。ミシガン州の北 Stark Riverにすむネイティブアメリカン。父親 (Tatanka Means)は動物の毛皮や肉を売って生計を立てている。1977年16?歳のマーゴはおじである白人の有力者で既婚者で子持ちで女好きなカル(父親の半分の血を引く)と肉体関係を持つ。時々ネイティブアメリカンの映画に出てくるこの一帯を仕切っていて数多くの女性と関係を持つタイプの人。マーゴはそのカルをライフルで殺すがカルの息子にマーゴは父親を殺されてしまう。それから母を探してライフルを持って旅に出る。

原作「Once upon a River」はアメリカの作家ボニー・ジョー・キャンベル(Bonnie Jo Campbell)
で、私は原作を読んでない。

マーゴは学校にいかず、先住民はすでにここで、社会から取り残されたように映る。それも、旅の途中であった大学院生ウィル(Ajuawak Kapashesit)というオクラホマ州のチェロキーの先住民の言葉で、その川がすでに汚染されていて、マスは食べられない。そんなことを何も意識に入れていず、教養を身に着けるチャンスもないマーゴにとって、深く疑うこともしないし批判的思考もない。ここでウィルの存在は誠に大きい。ただ通りすがりでなく、マーゴに考える力を与えようとしている。学校に行けとか、掃除していたいかとか、将来何をしたいのかマーゴに問いかけている。 それに、先住民の権利を剥奪している米国政府に対しても批判的思考力を持っている。 I’m Cherokee from Oklahoma. People who came to this country and took over, they never intended for us to survive.マーゴはこう言う言葉に触れるチャンスが 全然なかったのが、父と二人での生活だった。
マーゴの生活は川と同じで流れていて将来のことなんていうどごろかウイルの子供を懐妊してもウィルを探そうとしない。
先住民の生まれた土地で生きていくという土着の思想がマーゴにはある。父親から教わった代々受け継がれた大事なスキルである狩や釣やライフルの使い方である。それは父親から受けた磨かれた感性や本能を持っているから自然と調和できる生活能力が自ずと育って優先されているのだと思う。
マーゴが老人のスモークにカルを殺さなければよかった、そうすれば、父は生きていたのにと言う。これは強烈な言葉だ。なぜなら、マーゴが自分の心にしまってあった苦しみを初めて告白できる人ができたから。
スモークが皮売りの男性に言った言葉『なんでそんなに、普通ということを気にするの?』 勝手に判断するけど、この言葉の理解は、この最低限の生活であり、そこから出ようとしない自分に普通なんていう言葉は存在しないんだよ!!! 比較するものはなくて、何年経っても同じ生活をくリ返すだけと言う意味だと思う。