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書かれた顔のzhenli13のレビュー・感想・評価

書かれた顔(1995年製作の映画)
4.0
坂東玉三郎はかぶきの役者というよりも玉三郎というジャンルの役者なのかなぁと、20年以上前に松竹歌舞伎座の幕見席で豆粒ほどの大きさの玉三郎の鷺娘を観たきりの私は思っている。蛇足だが六代目中村歌右衛門晩年の道成寺も幕見でそのくらいの大きさで観た。

この『書かれた顔』のころの玉三郎は手先まで雄弁で、まだ青年ぽいところもあって脂ののってきたころという感じ。彼が顔を落とす様子をクローズアップで捉えてて、それを撮らせる玉三郎の自信も窺えるし、見入ってしまう。再び顔を書いていく様子を手鏡越しに映すレナート・ベルタのカメラ。
熊本の八千代座を素の玉三郎が訪れ、暗闇の舞台裏に迷い込み、表舞台では玉三郎が芝居を演じていて、素の玉三郎がそれを覗いてるふうにカットバックする。映画としての、何のトリックも必要としない虚構。八千代座の玄関でゲームボーイやってる少年の手を引いて入っていく玉三郎。この少年も今ごろは三十代だろう。

杉村春子がつ、つ、つ、と扇子を仕舞う仕草。晴海埠頭で足を海に浸して踊る大野一雄は杉村春子とこのとき同じ88歳。このころ、私は2回ほど大野一雄の公演を観に行った。見えないいとけなき小さきものに語りかけるような大野一雄の踊り。六代目歌右衛門と大野一雄が踊る生身の姿をこの目で見ることができてよかったと、今も思う。武原はんの踊りもさることながら、このとき101歳の芸者 蔦清小松朝じの太くしっかりとした喋り口と、三味線の胴に唾をぴっとつけバチを据える動作、唄のあとの茶目っ気ある笑顔に感動してしまった。

劇中映画「Twilight geisya story」がにわかに始まる。おそらく大正か昭和初期設定の、玉三郎と永澤俊夫(この人いま何してるんだろう)、宍戸開による三角関係的な無言劇は、玉三郎と宍戸開のキスシーンもあり、なんとなく舞台の虚構と映画の虚構の違いみたいなもの、違和感を感じなくもない。ここに埠頭で踊る大野一雄もカットバックし、舞台の屋形舟は現代の日本と綯い交ぜになる。八千代座か内子座の桟敷席いちめんに置かれた姿見や調度に囲まれた玉三郎。なんとも贅沢なシーン。

35ミリフィルムはかなり傷がついていて中盤ほぼ真ん中にずっと縦線が入っていたけど、あのフィルム上映が始まるときの音、当時の「ユーロスペース配給」のフォントといい、やっぱりいいなぁ。懐かしいというより、90年代がついこないだの気持ちになるのは、この映画を観たあと昔住んでた辺りを訪れたせいもあるかもしれない。
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