プリオ

セブンのプリオのネタバレレビュー・内容・結末

セブン(1995年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

本当に久々に見たら、全く違う映画に思えた。こんなに面白かったのか。。。

かなり前の映画だと思うが、全く色褪せない。むしろ、今の映画より新しさを感じた。これが時代を超越する名作の力なのだろうか。

警察署、図書館、殺害現場などのロケ場所や小道具が、おしゃれかつ不気味な雰囲気を醸し出している。あの図書館のテーブルに置いてあった緑のテーブルライトは、湊かなえ原作ドラマの「夜行観覧車」にも使われていた気がした。

細部にまで徹底的にこだわってつくった結果、上質でおしゃれなサスペンス映画が出来たのだろう。しかも、ただの雰囲気映画でないのがすごい。雰囲気だけの映画は意外にたくさんあるからだ。一見雰囲気が良くてすごい映画を見たような気がするが、肝心のテーマ性やストーリーの重厚性がないタイプの映画だ。

でも、「セブン」は違う。グロさや衝撃のラストに注目されがちだが、ストーリーが一級品。余計な説明セリフもなく、こちらの感性が試される作品だ。例えば、奥さんがモーガンフリーマンを家に誘ったのは、夫であるブラットピットが心配なためだ。奥さんはブラピの感情で突き進む性格を知っており、先輩の助けが必要だと感じたからだ。これは、中学生の頃に見た時はわからなかった。

モーガンとブラピのコンビは、「理性vs感情」ともいえる。ちなみにそれがこの映画の裏テーマだと私は睨んでいる。二人の会話を聞いていると、お互いぶつかりながらも互いの言い分が分かっている事が見てとれる。理性的かつ論理的なモーガンのことを、ブラピは批判しながらもどこか尊敬し受け入れたい気持ちもある。一方のモーガンも、感情的かつ野生的に己の欲求に忠実に犯人逮捕に突き進むブラピのことを咎めながらも何処か羨ましい気持ちを抱いているような気がする。嫌いは好きの反対とは言ったもので、ぶつかり合う二人は、お互いにそうなりたい理想像を相手に見出していたのではなかろうか。ラストで、モーガンがブラピの事を力ずくで止めないのも、決して感情を否定できない自分がいるからだろう。いや、もしくは、理性的な自分を肯定したくて、モーガンはブラピを止めなかったのか。そうだとしたら、なかなか恐ろしい深層心理だ。

このように少ない登場人物なのに、色んな角度で心理を掘り下げることができるので、めちゃくちゃ面白い作品だ。

残酷描写を客観的に見せるようなシーンが多いので、感情移入がしやすいわけではないが、あくまで主人公はモーガンフリーマン。そう、彼の視点で描かれていて、これは彼の映画なのだ。最後に生き残るのも彼なのだ。 

宗教の予備知識があった方が、この映画は楽しめるだろう。ダンテ、七つの大罪など日本人には馴染みのない概念がたくさん出てくる。

図書館での会話も面白い。モーガンフリーマンは図書館でポーカーをする警備員たちにこんなに財産で溢れているのに本を読まないなんて勿体無いと言う。しかし警備員たちは本を読む気はなく、仲間とポーカーをしてワイワイその場を楽しむ。一方で、モーガンフリーマンは一人読書にふける。その姿はある種の自己陶酔だ。モーガンフリーマンは結婚もしていない。前に子供もできたが、産まないことを選択した。彼はそれを間違ったことをしたとは思ってないが、後悔している。おそらく、そこから彼の内向型がつくられていったと想像する。それは自分一人の世界で完結できる世界だ。もう一人で楽しめばいい。外の世界は危険だから、結婚や子供は捨てたのだ。

すごく嫌な世界観映画でもある。いつからこんな世の中になてしまったんだとモーガンが言うのに対して、上司は前からだと言う。きっと、いつの時代も暗い部分はあるのだろう。ただ、映画は現実を引っ張る力があるので、こんな映画ばかり増えたら恐ろしい現実になりかねないので、昨今のやさしい傾向はある意味いいのかもしれない。

人間にある残酷な感情と向き合うことができる。「セブン」を見ていると、どこか残酷なラストを期待してしまっている自分がいるのだ。ブラピがケビンスペイシーを撃ち殺し、廃人になる姿を私たちは望んでいるのだ。でも、もしこれがモーガンフリーマンが殺されたとしたら、どうだろうか。なんか嫌ではなかろうか。たぶんそれは、私たちがモーガン寄りの人間だからだと私は思う。感情を押し殺して生活をしている人間は、自然とモーガンに感情移入して見てしまっているのだ。一方で、私たちは感情で動くブラピを無意識に羨ましくも感じている。こんな風に生きられたら面白いのかもしれない。奥さんもブラピのことを面白くて楽しい人であると言っていたし、ブラピ自身イケメンだし、我道をいく男気スタイルは、私たちを強く魅力する。ラストでブラピが感情を解放してケビンスペイシーを撃ち殺す姿に、私たちは高揚感を覚えると共に、廃人化したブラピになんとも言えない満足感に浸る。ただその満足感の正体は、感情で動くと身を滅ぼしかねないという教訓によるものだ。感情で動くと一時はスッキリするかもしれないが、その後の反動に耐えきれず自滅することもあることを私たちは知りたいのだ。モーガンが正しかったことを確認したいのだ。これまで通り社会に飼い慣らされて生きていくモーガンの人生を僕らは肯定したいのだ。

「セブン」が最悪の後味映画なのに、何度も見たくなってしまうのは、「今までの自分の人生を肯定でき安心感を覚えることができるから」というキモい説をここで唱えたい。

ちなみに僕が未公開ラストシーンを作るとしたら、モーガンを殺すかな。おそらく、観客が1番見たくないラストだからだ。なぜなら、モーガンはマジョリティであり、私たちだからだ。

1990年代はサイコスリラーが多かったように感じる。いわゆる狂気的殺人や連続殺人だ。今やあまり映画で公開されないジャンルだけど、個人的に大好きなジャンルなので、昔の映画を掘り返していこうと思う。
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