なべ

セブンのなべのレビュー・感想・評価

セブン(1995年製作の映画)
5.0
 今年のGWは「セブン」と「羊たちの沈黙」の地獄の2本立てでスタート。全席自由席なので、整理券をゲットしに開場前の目黒シネマに並んだ。ディスクでは繰り返し見倒したお気に入り作品だけど、映画館での鑑賞は初公開のとき以来。銀残しって言葉をはじめて知ったのもセブンだったなあ。
 2023年にあって、まったく古びてない地獄絵図。全編雨が降りっぱなしなのも、老練な黒人刑事に教養を与えた(差別的発言を謝罪します)のも、犯罪都市で一旗上げようとする薄っぺらい若い刑事も、この街を厭う清楚な妻も、七つの大罪になぞらえた劇場型犯罪も、すべてが有機的に機能し合う緻密な脚本。まさかとは思うが、もしセブンをリメイクしようする企画があるとしたら、よほどのうぬぼれ屋かバカかのどちらかだろう。これはそれくらい隙のない完璧な映画。映画の感じ方は人それぞれと普段は言ってるけど、ことこの映画に関しては低評価を下す人を、拙い人か読解力もしくは映画的センスがない人だとみなしている(残忍・非道過ぎるって直情型レビューは理解できる)。

 モノローグのある映画はあまり好きではないがこれは例外。冒頭、モーガン・フリーマンの嫌悪と絶望の中にあって、なお現実に踏みとどまってる超然とした独白のおかげで、異常な世界にも自然と移行できたし、エンディングのそれでも生きていくって強い意志が、向こう側から現実に戻ってくるのに大いに役立った。

 話はキリスト教の七つの大罪になぞらえた猟奇事件を追う2人の刑事の1週間を描くというもの。
 はて、聖書は旧約・新約とも読んだが、「七つの大罪」なんてパワーワードをついぞ目にしたことがない。もしかしたら外典に収められてるのかもしれないが、エセクリスチャンなのでそこまでの知識はない。調べてみると、キリスト教の宗教書の中でも幾度となく論じられてきた定義というかテーマらしい。
 ぼくが知ってる七つの大罪といえば、ボスの描いた「七つの大罪と四終」か、ダンテの神曲の「煉獄編」くらい(今では鋼の錬金術師や七つの大罪ってアニメ作品があるけど、いずれも本作以降)。どちらも宗教とは無縁の興味で得た知見なので、宗教的メッセージをすっ飛ばして、芸術的な美しさと不気味さだけを享受してた。幸か不幸かその知識のおかげで、セブンで繰り広げられる地獄絵図がとても興味深く(誤解を恐れずにいうなら“気持ちよく”)味わうことができた。残忍でグロテスクなはずの犯行現場に崇高な美学を感じてしまったのだ。うへえと思いつつも芸術めいた犯人のセンスに共感してたのね。簡単にいうとツボったのだ。
 だから正体のないジョン・ドゥが成そうとした犯罪史上類をみないプロジェクトが、少なくともミルズよりはわかったし、なんなら絵画でそれを表現したボスや、詩で表現したダンテと同様、犯罪で七つの大罪を表現した芸術家なのだと理解できた。
 だからこそ、最終的な完遂方法の創意工夫には舌を巻いたし、そこに組み込まれるミルズ夫婦の悲劇(嫉妬と憤怒は無理くり感があったとしても)、そしてその意図を見抜いたサマセットの狼狽、わかっていながらミルズを止められなかった悔恨など、胃がでんぐり返るくらい気持ちが掻き乱されるのだ。
 場内が明るくなって同伴者の顔を見たときのなんともいえない打ちのめされた表情。「すごいね」とか「エグいね」としか言えないぐったり感がもう。この不快だが緻密な演出を味わえる時代に生きててほんとよかったと思うよ。
 画面には一度たりともトレイシーの首は出てきてないのに、強烈にその印象が刻み付けられる描写の巧みさに歓喜し、軽薄なミルズが嵌った罠の底知れぬ深さに戦慄し、これが最後の仕事となったサマセットの刑事人生を思うと、言葉にならない気持ちがこみ上げてくる。もはや裁くことのできないジョン・ドゥに対する無力感もハンパない。
 とにかく観終わったあと、心中に去来するさまざまな思いでこんなに胸がいっぱいになる映画ってなかなかないよね。
 ミルズは情状酌量されるだろうとか、サマセットは退職後も嘱託で刑事を続けるんじゃないかとか思わなかった? ついつい登場人物のその後を夢想してしまうのは名作ならではの余韻だ。
なべ

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