監督の脳内イメージを転写したかのような圧倒的な個性の具現化
匂いや湿度をも脳が錯覚するビジュアル
世のクリエーターたちが創作意欲を麻痺させて、どれだけこの作品の模倣をしたことか
平成の終わりが近づく中、なぜか無性に観たくなったので鑑賞
すごく静かな冒頭
どこか不安定な感覚
気づいた時にはフィンチャーの狙い通りに作品の中に意識が持っていかれる
古典になっても色褪せない
映画表現を”再定義”した作品にのみ許される感触
画面内の全てが緻密な計算の上で配置されていて、その完璧すぎるが故の違和感に思考を乗っ取られるような感覚
(語彙不足ですが、私の思うフィンチャー感ってこれです)
ビジュアルで思考を掴まれて、並走するストーリーに感情すらも制御されるような、もう言葉にすると訳わからないやつです
○○、実は死んでない疑惑とかの考察もあるけど(電話の件とか)、なんか事件の真相とかよりも、巻き戻し出来ない出来事の連続が人間の弱さや脆さを際立たせて、もう神にすがるしか無いって追い込まれる感じで、もうそれってジョン・ドゥの狙い通りで、あっ完全に負けたなっていうエンドロール中の私です
もう若き日のグウィネス・バルトローが信じられないくらい可愛いので、誰もがジョン・ドゥに怒り狂うのである