レインウォッチャー

セブンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

セブン(1995年製作の映画)
4.0
ラスト20分、たとえ7回目でも一時停止不可能説。

「かっこいい」。
デヴィッド・フィンチャー映画を表すには、この一言に尽きる。

ダークで寒々しく硬質、爬虫類の鈍く光る瞳に反射したような世界。90'sを代表するひとつのブランドとなり数多のフォロワーを産んだこのルック、しかしあらためて観るとやはりオリジナルは唯一無二だなと思う。

有名な《銀残し》の採用や撮影後の微細な色彩調整、研究され尽くした照明による、ハイコントラストで彩度の低い画面。黒は底知れぬほど深く、陰になった人物の表情が判別できないほどだ。
'70sのノワール映画を墓場から引き摺り出してアップデートしたようなこのスタイルは、以降デジタル化してから(『ゾディアック』くらいから?)も引き継がれ、ひと目でフィンチャーの映画とわかる特徴になっていく。一歩踏み入れた時から充満する不穏さと悪寒、これこれ、来たぞ、って感じ。

今作は室内の場面が多く、このダークな魅力を引き出し、美術もこだわり抜かれている。《七つの大罪》をモチーフにした連続猟奇殺人が起こる話なので、それぞれの陰惨で趣向の凝らされた殺害現場がまずは強烈に印象に残るところ。(※1)

そんな中わたしが推したいのは、中盤で主人公たちが訪れる犯人(と思しき男)のアパートの場面である。目的の部屋をノックし、ふと廊下に目をやると、向こうに男の影が見える…天井に点々とついた白色灯、古い病棟のような細長い道の不気味さ、その中でじっとり赤く映える「EXIT」のランプやドア。
か…かっこいい。『シャイニング』から初めて《やべー廊下選手権》の王座を奪取した瞬間ではなかろうか。(そんな大会はない)(※2)

そんなわけで、胸糞サイコサスペンスとしての完成されたプロットや、スター俳優たちの名演にフォーカスされがち、そしてもちろんそれらが全て組み合わさって大ヒットした今作ではあるけれど、実は攻めまくったアートでもある!ということを、今更恥ずかしげもなく主張しておきたい。

ストーリー面はもう感想も考察も語られ尽くしているので本当に書くことがないのだけれど、あらためて気づいたのは「ずっと雨降ってるな」ってことだろうか。《七つの大罪》に準えて劇中の時系列も月曜から一週間を辿るように進んでいき、その間は最後の日曜までひたすら雨。
もちろんこの7日は天地創造の7日間と重ねられていると思うけれど、神が休んだ=不在の日曜(休息日)にようやく光が射して、真実が明るみに出る…というのは何ともキツい皮肉だ。

また、この7日はサマセット(M・フリーマン)が定年するまでのリミットでもある。今作のテーマであり、犯人の目的でもある《人々の無関心》は、サマセットにも当てはまる。これまで彼は刑事として人の業を見つめすぎ、疲れきって引退(休息)を望むわけだけれど、この事件はそれを許さなかった。

呼吸を忘れるラストシーン、サマセットと犯人はミルズ(B・ピット)を挟んで対峙する。深く葛藤するミルズを両極から引っ張るような二者は、まったく違うようでいて同じことを言っている存在でもある。
日曜日に神はいない、つまり神も関心を持っていない。ミルズは " Oh, God ! " と叫ぶが、ここに答える神はおらず、犯人とサマセットのみ。彼らはどちらが神で、どちらが悪魔といえるのか…

オープニングでかかるナイン・インチ・ネイルズの『Closer』(リミックス)では " You get me closer to god "(お前が俺を神に近づける)と歌われる。ここでもやはり、計画を完成させようとする犯人と、再び闘志のようなものを取り戻すサマセットは重なるように思える。
いずれにしても、雨は上がったのだ。

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※1:グロさ怖さを食らった後味は残るのだけれど、実は直接的にそのものが映る時間は意外と短いことに気づく。パッ、パッ、と断片をチラ見せして想像させる、焦らし編集の巧さがある。これもパクられ倒してるよなあ。

※2:あと次点で、サマセットが調べ物に訪れる図書館も推しておきたい。流れるバッハも相まって、カラバッジョの宗教画のような荘厳さがある。『ネットワーク』を思い出す緑ランプ(読書灯?)の並びもまた良い。