あてゃん

セブンのあてゃんのネタバレレビュー・内容・結末

セブン(1995年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます


会社の先輩に後味が悪い映画だと教えられて視聴。本当に後味が悪くて苦しい。こんな酷いことある?って感じ。その先輩とはミストと比較してどうだった~って話をしました。備忘録としてここにも記載しておこうかな。

どちらの方が後味が悪いかというと、わたしは僅差でミストだと思った。愛する我が子を殺めてすぐに、最初に出ていった女性が助かっているのを目の当たりにしたり、救助隊を見つけたり(昔の記憶だから少し違うかも)、もう少し判断を遅らせていれば、と自らの選択を悔やんでも悔やみきれないと思った。
対してsevenは自分の選択によって、という部分は少ないのかなと。警察官になったこと、殺人課(?)に来たこと、この街に来たこと、それらは自分の判断だけど、異常犯罪者に目を付けられたり、分署の人たちが個人情報を話してしまったりなんてことは本人にはどうしようもできないことだったと思う。運が悪かった、という言葉は軽すぎるけれど、そんな感じだったなあって。どちらかというと、どうすれば良かった(助かった)のか、という風に考えそう。


話は変わって…
ネットを徘徊してると、「怠惰」の被害者は生きていて(、だからJohnが自首したときには4人しか死んでない)、7つの大罪に合わせて死者を出すとすれば、John, Tracy, そしてお腹の赤ちゃん、みたいな考察記事を読みました(母親もお腹の中の赤ちゃんが7番目の被害者じゃないの?って約20年前に観たときの記憶を思い出して言っていた)。
もしそこまで計算に入れていたとすれば、いつどこでどのように知ったんだろう。TracyはきっとSomersetぐらいしかまだ知り合いはいないだろうし、いたとしても彼以外に話しているとは思えない。たまたま知ったけど、もし知らなかったらもう一人殺してから一連の流れを起こしてたかな?でもそうしたら日が過ぎてしまうかもしれないから、「憤怒」のための用意がめちゃくちゃになる…?でもやらなかったら7人殺してないよ。うーん。。。
それに、「怠惰」の被害者は1年も前から監禁したりして、全てにおいてすごく綿密な計画を立てていただろうから、きっと「嫉妬」は自分と決めていたとしても「憤怒」は別の誰かが居たのでは?と思う…。記者になりすましてMillsに会って邪険にされたときか、追跡されて殺さずに生かしたときか?後者については、きっとJohnのような、法則に則って殺人を犯す者は、それに反したことは起こしたくないと考えると思ったから、それが理由で殺さなかったのか…?と思ったけど・・・

あとは、Somersetがダーツ板にナイフを繰り返し投げていたのは何かな(先輩は考えているときの癖かなと思っていたそう)とか、Millsが最初に来たときに着けていたネクタイ、バスケットボールのシュートしている感じの模様だったなとか(最後に撃つことを示唆?)、なぜ犬を2匹飼っているのか(田舎から来たからで深い意味はない?それとも子どもができなくて飼っていた?)とか、アパートが揺れる設定とか、神曲とカンタベリー物語ばっかり日本語字幕で言うてた気がするし(文字数的に日本で有名なのを選ばざるを得なかっただけ?)、細かいことが気になる。誰か教えて・・・

ひとまず、もっと知識がついてから(英語やカトリックなど)観たらまた点と点が繋がると思うから、また観たい。悲しいけど!!!!

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