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Wajma, an Afghan Love Story(英題)
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『Wajma, an Afghan Love Story(英題)』に投稿された感想・評価

akrutm

akrutmの感想・評価

3.6
アフガニスタンの首都カブールを舞台に、ある男性と恋に落ちた未婚の女性に降りかかる過酷な出来事を描いた、バルマク・アクラム監督のドラマ映画。

「アフガン・ラブ・ストーリー(An Afghan Love Story)」というサブタイトル(タイトルのワジマ(Wajma)は主人公の女性の名前で、彼女を演じている女優の名前でもある)から受ける(私の勝手な)第一印象とは大きく異なる内容である。特に今だからこそ、アフガニスタンと言えばアメリカ軍撤退による傀儡カルザイ政権の崩壊やタリバン政権の誕生などの政治状況が真っ先に思い浮かぶが、映画の中では政治も戦争も全く描かれない。また、ラブストーリーという単刀直入な表現から受けるロマンティックな内容でもない。

確かに映画の出だしでは、世間の目を気にしながらも密会する一組の若い男女が描かれる。男性がかなり積極的なのに対し女性が及び腰のように見せているのは、イスラム女性の貞操観念を表現しているのだろうと思っていたが、後半になるとそうではないことがわかる。まあ、それはおいておくとして、二人きりになるために郊外に出かけて連込み宿みたいな小屋でいちゃつく。しかし、男女が無防備のまますることをすればどうなるかは一目瞭然。そのことで男性が逃げ腰になるのはどの社会でもよくあること(さらに、そのときの決まり文句も万国共通!)として、それとは別に、そのことが巻き起こす悲劇が本映画の中心テーマなのである。

そのことを知って出稼ぎ先から戻ってきたワジマの父親が娘に対して取る行動がとにかく強烈。ときどき映されるアフガンの雄大な風景や牧歌的な夜景との対比が、強烈さをより印象づけている。もちろん現実に比べてデフォルメしているだろうが、実話に基づくという説明が冒頭でなされるように、イスラムの家父長的社会における女性の地位・人権に対する現実を表現していて、これが監督の描きたいことだろう。ラストシーンに見せるワジマの涙が、すべてを物語っている。

一方でバルマク・アクラム監督は、女性の現状とともに、別のことも伝えようと意図しているように(個人的には)感じた。それは、父親の最終的な決断が宗教的信念に基づくものではなく、法遵守への義務感からくるものだという点である。要するに、イスラム教徒であっても大半の庶民は、キリスト教徒やユダヤ教徒と同様に、宗教的信念を最優先するわけではなく、うまく折り合いをつけながら日常生活を送っているということである。タリバンであれ、イスラム国(ISIL)であれ、原理主義的な思想・国家観を心から信じるのは上層部の一部に過ぎず、大半のメンバは宗教的信念よりも生活のために組織に入っているに過ぎない。イスラム国家であっても庶民の思考様式は欧米と変わらないので異端視しないでほしいというメッセージも暗に込められているような気がしてならない。
kanegae

kanegaeの感想・評価

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家父長制。社会があって人がいてものがある映画
この映画では何年の話だとは書いていないが、この作品は二千十三年の映画で、監督はアフガニスタン出身でパリに在住の監督だ。映画の内容からして、主人公ワジマWajmaの父親は軍で働いていても、アフガン戦争時代の映画ではない。今は二千二十年だからそれほど古い話ではない。しかし、いまだ現在、人権を無視した行為が行われ、殺されるか、自殺しか最終手段はないのかと息ぐるしくなる。個人的には基本的人権を無視したDVにはどんな理由であれ、全く寛大さは持ち合わせていない。


この映画の監督の目的はモスリムの社会の女性(人間)の人権向上だが、何作もこの類の映画を見ているし、こういう映画がいろいろな監督によって作られているということはまだまだ、こういう問題が続いているから、我々に意識化させたいのだと思う。でも、これが、米国のサンダンス映画祭やイタリアのベニス映画祭で賞をとっても、果たして、パキスタン、アフガニスタンの国々で起きてる、女性の人権問題が良い方向に変わっていっているのかと不思議に思う。多分、ただ私がしらないだけで変わっていってるのだと思うが。

https://filmarks.com/movies/92520/reviews/96293019 What will People Say という映画も同じ類で、パキスタンからノルウェーのオスロに移民した家族の移民2世の女性に焦点を当てている。一般論かもしれないが、アフガニスタンもパキスタンもこの英題のように、周りの人々の目や親戚の人々の目をいつも気にしている。日本でもよく人の視線を気にするというこういう話を聞く。これは、伝統文化で、なかなか変えることができないし、人の目を気にすることが悪いともいえない。問題点は、人の目を気社会の人々にしないで行動したときや人の目を気にして行動したときの、結果として、それが、社会の慣習や宗教に反すると判断されたとき、例えば、この映画では体罰(DV)に発展することだ。『罪と判断される』とそれに対して私は寛容さは全くない。

この映画には他の問題も指摘できるが、女性の地位の低さが、シャリア法律により社会、家庭、男女の根底にあるから、これから抜け出られる、よっぽど納得できて、感銘できる哲学がないと難しい。

最後に、一言。ワジマが『アメリカに出られてラッキー』というシーンがあるが、どこに移民しようと、根本的に持っている思想の問題だから、人権問題は簡単に解決できるものではない。