ヨミ

ドライブ・マイ・カーのヨミのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

『ドライブ・マイ・カー』

セックス(というか事後)からスタートし、「出たな村上春樹!!!」となりました。というか、セックスにしろオーガズムにしろオナニーにしろ、セクシャルな事象がモチーフとしてかなり重要視され、物語が駆動される。インターネット村上春樹の「やれやれ、僕は射精した」みたいな表層的なやつとは違うわけです。ちなみにあのネタっていつごろできたんですかね。

あと個人的には布の質感が良い。西島秀俊のジャケットが全て良い。序盤に西島秀俊が『ゴドーを待ちながら』をやるんですが、その衣装がよい。Carol Christian Poellか????(違うが)
あと三浦透子の服も良かった。
衣装的なところ以外でも布のテクスチャーが非常にうつくしかった。ブランケットとか。
あと一瞬theoryかなんかのタグが見えたんだけど、深く考えるとキリがない。後半で西島秀俊の着ていたTシャツが胸で十字に縫製がインサイド・アウトで入っているやつで、どっかで観たことある気がするぞと思ったがそれも置いておきたい。

セクシャルなものとして映像的に最も良かったのは、妻の不貞を目撃した主人公なその後に、同じソファで同じ体位(しかし逆になる)となっていくところ。多分これが終盤の超長台詞に効いている。

もちろん、最も重要なモチーフは車なんだけど、難しいな。クローネンバーグの『クラッシュ』や『コズモポリス』とも違う、身体の延長としての車。聖域としての車。またはアイデンティティとして。ハラスメントの手段となる運転(の技術)。わからない。免許を持っていないからかもしれない。免許取りたいなとうっすらと思った。

ぼくは西島秀俊の演技をみるたびに「PanasonicのCMか?」と思ってしまう病に罹患しているのだけど、そこに岡田将生が重なるもんだからいよいよ大変になった。何しろ岡田将生が軽い事故を起こすものだから「アクサダイレクト!!!」と反応せざるを得ない。(そういう意味では石田英敬のいうところの「テレビ的」な見方であるのでテレビの侵食と言える)。

多言語が混じるということの心地よいカオスに、手話が入ることで入り込む緊張感というのがあると思った。純粋に音声発話によってなされるコミュニケーションに突如視覚的発話が食い込むこと。

感情について、Xが入ればAが返される、といったものではなく、常に複数の感情の束が入れ替わり立ち替わりあふので「文芸〜〜」となる。あと劇中劇で「なにも変わらなかったが、自分の行動によって世界は間違いなく禍々しくなった」というところがあまりにも良く、なんにも勝てねえと思いました。
ヨミ

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