切るべきところを切り、残すべきところを見せ、謎を提示して、それを3時間かけて説明しきるものの、体感時間は100分に満たない不思議な映画。
村上春樹っぽさがきついところもあるが、語りのシーンが驚くほどコッテリしてないのがすごい。
不自然に人物の感情が動くことは決してなく、自然なエピソードと行動と反応に基づいて関係が縮まる。西島秀俊が助手席に座るまでの流れがあまりに自然で、美しさすらある。
まず映像が提示され、意味が遅れてやってくる。手話、性格、行動規範、全てその場で即、説明されることは少ない。だから説明のわりに説明的と感じないのかもしれない。説明を渇望するタイミングで説明がやってくる。
コッテリ感の無さは語り手が限られてるのも要因。無口なドライバーと喋る演出家。手話やハングルと喋る俳優。それぞれが対になって、出来事の一つ一つを迎えていく。
語らないドライバー、三浦透子さんが見事。感情を表に出さないので、間違えると棒読みになってしまいがちな難しい役どころを最後まで演じきる。
かすかに笑うシーンが記憶では3回。それ以外は全て無表情。道具が限られた中、自身の感情を表現する。情報が少ないが故に見ている側は釘づけになる。
感情を押し殺し、忍びのように生きる彼女がそうなった過去が語られ、西島秀俊との過去とともに彼らの関係が融解していく。
脚本の重要な部分を占める舞台「ワーニャ叔父さん」観たことがなく、無学ですいません。。となるものの、主要なテーマは人物の口から語られるため見やすい。
他人の暗闇や課題に足を突っ込むことをやめ、どう思われるかとか気にせず、自分が何をしたら機嫌が良くなるのか、悪くなるのか、自分の欲求はどこにあるのか、それを正確に把握するしか前に進めない。
決して車内では吸うなと言われたタバコを車内で吸い、車の屋根の窓からタバコを突き出すシーンとゴミが焼却炉で舞い散るシーンを「雪みたいで綺麗」と語るシーンが好き。
無音シーンの息が詰まる感じ。雪国の田舎の感じを思い出した。劇場に音を鳴らしてはならない緊張が訪れた。