kuu

ドライブ・マイ・カーのkuuのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.9
『ドライブ・マイ・カー』
映倫区分 PG12.
製作年 2021年。上映時間 179分。

村上春樹の短編小説集
『女のいない男たち』
に収録された短編
『ドライブ・マイ・カー』を、濱口竜介監督・脚本により映画化。
韓国映画界に先に今作品を描かれなかったのは邦画やるやん。
短編に肉付けして作られたように観客もまた肉付け理解が必要な作品と云える。

今作品を見終わってふと感じたのは、我々が暮らすこの世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)、並行世界で展開した話なのではないかと深読みできたし、人種や場所、ガジェット等がこの世界にある常識が通じない、時代にそぐわない部分が多々あった。

舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。
しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。
2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。
(余談ながら、今作品は、もともと韓国の釜山を舞台やけど、コロナ禍COVID-19の大流行により広島に変更されたそうです。)
そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。
主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。

今作品の冒頭、妻の音がピロートークのように、妻の家福音が夫悠介に聞かすシナリオは、まるで朗読を聞いてるようで作品に引き込まれた。
艶かしい。。。

今作品の物語は、4人の主要な登場人物を中心に展開してました。
主人公の加福祐介は、有名な俳優であり、演劇の演出家でもある。
穏やかで静かな性格(ブレてると見えなくはない)の彼は、妻がかなり若い男と性的な関係を持っていることを知り、ショックを受けている。
妻の音は、セックスをしながら脚本の構想を練る、クリエイティブで表現力豊かな人物。
艶かしいが、何故か恨めしい。
(一歩間違えば音の描く物語は新堂冬樹の世界観やん、子を亡くし気が狂れたのか)
若手俳優の高槻耕史は、自信に満ち溢れているように見えるが、未成年者との関係でキャリアを失い、過剰に報道されたことから、自分の存在に疑問を持ち始める。
北海道で不安定な母ちゃんから精神的、肉体的虐待を受け、広島で運転手として新しい人生を歩み始めた女性、渡利みさき。
今作品は、これらの登場人物の関係を探り、一般的な課題の克服と、特に喪失の処理について扱っていました。
あくまでもパラレルワールドとしてみたら、今作品には、いくつかの点で説得力はある反面、この世では有り得ない話やとも思える。
まず第一に、前述の登場人物たちが、深読みすれば(見てる側の想像力、妄想力等で肉付けすれば)、詳細であり、深い存在であること。
観てる側はシーンを追うごとに、考えるごとに、想像、妄想するごに彼らのことを知り、彼らの運命に関心を抱きました。
逆に彼らの欠点は、共感したり、同情したりすることは、あくまでも肉付けを見てる側がしなきゃ容易ではない。(小生が読解力不足なんかも知れへんが)
また、演技にも説得力がある巧みさを皆みせてるのに、この世の話しとは思えない矛盾さを感じる。
でもまぁ、西島秀俊の演技だけじゃなく、主要な俳優陣は巧みな演技をしてた。
特に女優陣の演技は、ホンマ、よかった。
霧島れいかは、映画の冒頭で、自由奔放で想像力に富んだミステリアスな脚本家として輝いていたし、
三浦透子は、作中、多くを語らないけど、正確なボディランゲージと微妙な表情で多くの感情を表現していた。
まぁ、個人的には岡田将生の演技がスゴくよかったかな。
今作品は、多くの芸術的、知的、哲学的な言及に満ちていたし、これは、芸術的、創造的、表現力豊かな登場人物に通じるものがある。
サミュエル・ベケット(アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。不条理演劇を代表する作家の一人であり、小説においても20世紀の重要作家の一人とされる。)の『ゴドーを待ちながら』(戯曲。副題は『二幕からなる喜悲劇』)は特に冒頭で言及され、アントン・チェーホフ(ロシアを代表する劇作家であり、多くの優れた短編を遺した小説家。)の『ワーニャ伯父さん』(副題は『田園生活の情景』。)は映画の中盤からエンディングにかけて大いに注目される作品です。
また、映画の舞台が東京の下町から広島やその周辺に移っていくのも、偶然ではないんちゃうかな。
また、エンディングの舞台が韓国であることも。。。
このような多くの微妙な要素が、クラシック音楽を用いた優雅なサウンドトラックや、コレティヴィズム(集産主義ー土地その他すべての生産手段の私有制を廃し社会的所有にするという主張collectivisme。 フランスで多く使われる語。 多義的であり、バクーニン派は無政府主義と、フランス労働党のゲード派は共産主義と同義に用いる。)と変化の時代における個人主義と郷愁を表す赤い赤い'87サーブ900ターボの使用によって、補完されている。
今作品は、知的に多くの発見を与え、何度も見て新しい面を発見する価値があるのじゃないかと思わせるし、内容を忘れた頃にもう一度見直したいかな。
とは云え、今作品は、3時間ちゅう上映時間の中には、あちこちに間延びした長さが含まれている。
特に、オープニング・クレジットが出るまでに40分以上かかる導入部は、もう少し短くてもよかったかなぁと。
また、演劇の練習やシークエンスの中には、韓国語の手話から台湾の標準語に至るまで、数多くの外国語が登場する箇所があり、時にはやや気取った印象を与えるんちゃうかな。
ストレートに書けばキザったらしい。
結局のとこ、今作品は、感情的な深みと知的な細部を備えたメロドラマでした。
今作品は、本物のようなリアルにも感じるし、この世のものでない世界とも感じるキャラが織り成す深みのあるドラマやった。
そないな作品を求める多くの人を満足させるんは間違いないかな。
映画が終わった後も、ずっと心に残る物語が個人的にはあったけど、掴み所は正直難しいかな。
どーでも良いのですが、家福の車は、日本の標準的な右ハンドルとは対照的に、左ハンドルでした。
これは決して言及されてへんかった。


家福だけに、

『禍福は糾える縄の如し』

幸不幸はより合わせた縄のように表裏をなしていて予測出来ない、人間万事塞翁が馬と同義。
幸福な時は有頂天にならず感謝を忘れず、不幸な時も嘆き悲しむばかりでなく希望を持って生きることを。




今作品を見たいと欲してる方や、家福さんのファンの方は、これよりスルーしてください。

……………………キリトリ……………………


独り言ですが、小生は、たとえ喧嘩別れした、過去の恋人のことでも、ましてや今でも大切に思てる人の性的な嗜好やら、セックスの話しは他人には決して話さない。
そして、家福よ本当に、子供と妻を亡くした慟哭をいだいてるんか?
家福よ、鈍感な家福よ!
そこを改めなきゃ(偉そうなことは云えんが)繰り返されるぜ裏切りを。
kuu

kuu