サマセット7

ドライブ・マイ・カーのサマセット7のレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.9
監督・脚本は「ハッピーアワー」「偶然と想像」の濱口竜介。
主演は「クリーピー偽りの隣人」やTVドラマ「きのう何食べた」「MOZU」の西島秀俊。
原作は村上春樹著の同名の短編小説(「女のいない男たち」収録)。

[あらすじ]
俳優であり劇演出家の家福(西島秀俊)は、妻、音(霧島れいか)が不倫していることを知りながら、知らぬふりをして日々を過ごす。
なぜ、妻は、自分がいながら他の男と関係を持つのか。
問うことができぬまま、ある日、音は帰らぬ人となってしまう。
…2年後、広島での国際演劇祭にて、家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の多国籍演劇の演出をすることとなる。
そして公演までの2ヶ月間、専属のドライバー、渡利みさき(三浦透子)が、彼の送迎をすることになる。
みさきとの時間。多国籍の俳優たちとの関わり。生前の妻を知る俳優、高槻(岡田将生)との対話。これらは、家福の止まっていた時間を少しずつ揺り動かし…。

[情報]
日本映画として、史上初めて米アカデミー賞作品賞にノミネートされた作品。
同国際映画賞を受賞した他、世界各国の数々の映画賞を受賞した。

原作は、国際的に人気のある村上春樹の短編集「女のいない男たち」所収の短編小説。
「ドライブマイカー」の登場人物と基本設定を踏襲しているほか、同短編集の「シェエラザード」や「木野」といった短編の要素も含む。

作中、公演を目指す劇であるチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」のセリフが重要なモチーフとして繰り返し登場する。

これらの文学的な題材を基に、精緻に構成された脚本(濱口竜介&大江崇允)こそが、今作の高い評価の源泉と思われる。
今作はカンヌ映画祭脚本賞を受賞した初めての日本映画である。

監督、脚本の濱口竜介は、今作と2021年の「偶然と想像」(ベルリン国際映画賞銀熊賞受賞)で国際的な評価を高め、現代最注目の日本映画監督となった。

今作は国内外の批評家から絶賛を集めている一方、一般層の評価は分かれているように見える。
詳細不明だが、想定1億5000万円ほどの予算で作られ、5億円を超える一定のヒットとなった。
(ハリウッド作品の一般的な予算規模と比べると、いかに低予算作品かがわかる。200万ドル以下の予算規模の作品など、普通は日本にまで配給されないのではないか)。

[見どころ]
村上春樹の複数の短編を繋ぎ、さらにチェーホフの「ワーニャ伯父さん」のセリフ(車内で主人公が稽古を行う)と密接に絡めた、細密な脚本。
セリフの応酬の中から滲み出る、演者とキャラクターの垣根を超える瞬間。
岡田将生!!!三浦透子!!!
作中の家福の演出法と、今作の濱口演出が重なる!!

[感想]
個人的な感想はさておき、日本の映画がこれだけ国際的に評価されて、各賞を獲得したことは喜ばしいことだ。
素直に喜びたいし、濱口監督のこれからにも大いに期待したい。

実際に観てみて、今作が評価を集めた理由は、3点にあろうか。
1、村上春樹原作と濱口竜介&大江崇允の脚本に由来する、精緻に配置されたセリフ群。
2、日本、特に広島の、美しい情景を切り取った映像。
3、多国籍演劇を題材に、俳優の「生の演技」を切り取る濱口演出を「実演」してみせる、という構造とその演出で引き出された、俳優の「生の演技」。

パズルの問題として、村上春樹の短編「シェエラザード」の印象的なエピソードと、チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」のセリフ群と、「ドライブマイカー」の基本設定が一本の筋として、ここまで綺麗に互いに響き合うと、脚本スゴイ!!!と思わざるを得ない。
さすがカンヌ脚本賞は伊達ではない。
3時間弱の長尺は、この脚本の副作用か。

ヒロシマは、日本の都市としては国際的に有名で、悲劇からの再生を語る舞台として、海外の人が見てもわかりやすい。
批評家がドヤりやすい要素だろう。

そして、濱口監督の独特の演出を、主人公の家福の演出として作中で実演してみせ、さらにその結果として、映画のマジックとしか言いようのない演技を現出させる。
その結晶が、岡田将生演じる高槻の、みさきの運転する車中での、故人に関する会話シーンだろう。
このシーンは、たしかに神がかっている。

西島秀俊と三浦透子のコンビの抑えた演技は、2人の関係性の変化を自然に見せている。
三浦透子の、韓国人夫婦の自宅に招かれたシーンでの台詞とは異なる感情を表す演技!!
タバコの印象的な使われ方!!!

間違いなく優れた作品なのだが、好きと言い切れないのはなぜなのか。
いかにも村上春樹的な妻、音の神秘的なキャラクターに、リアリティがない点か?
あるいは、家福の文学中年っぽい心の迷路について、シンプルに共感し難い点か?
それとも、チェーホフや多国籍演劇や独自の演出法について、あまりにも高尚すぎて、鼻につくからだろうか?

何にせよ大衆性、娯楽性より芸術性に軸足を置いた作品なのは間違いなかろう。
総じて、文芸的でアート気質な、批評家受けしそうな作品、というのが、正直な印象か。

[テーマ考]
今作は、傷ついた人間の魂の再生を描いた作品である。
その際に、ただそばにいる、ということの効用も描かれている。

また、今作は、他者と理解し合うこと及び自己を真に理解することの困難さを表現した作品でもある。

そして、今作は、役を演じることで根源的なレベルで自己を表現してしまう、という、ロールを演じることの意味を突き詰めた作品でもある。
演劇論としてはもちろん、人は常に与えられた役割を演じている、という普遍的な人生論とも通じる。

これらの複数のテーマは、自己を見つめること=魂の救済=役を演じることによる自己表現という一本の線に繋がる。

みさきとの関係性の変化、妻への疑問とその解消、高槻との対話、劇の独自の演出、ヒロシマという舞台、ワーニャ伯父さんのセリフやナツメウナギのエピソードに至るまで、家福を巡る今作の様々な要素が、これらのテーマを表現するために配置されている。

今作を、いわゆる「中年の危機」を描いた作品と捉えることも可能だろう。
その観点から、今作より得られる教訓は何か。
1つ。泣きたい時には泣くのがいい。
2つ。気分転換、大事。新しいこと、やってみよう。
3つ。人を救うのは人。繋がりを大事にしよう。
4つ。積み上げてきたものを、疎かにするなかれ。答えは、これまでの道の中にある。
といったところか。

[まとめ]
現代日本の再注目監督が、村上春樹原作を精緻に脚本に落とし込んだ、アカデミー賞受賞の記念碑的作品。

この濱口監督の快進撃を、無為に終わらせる手はあるまい。
二の矢、三の矢を期待したい。