「余白が多かったら、それはもうそういうフォーマットなのでは?」
いい所を言語化するのが難しい映画だった。
強いて言えば感情の強弱の付け方
ほとんどの登場人物は感情がないかの如く淡々と喋る
台本の読み合わせも感情を込めず、ロボットのように話す
それだけでなく日常会話も
誰かに言わされているかのよう
複数の言語や手話で構成された舞台俳優達というのも相まって、ますます感情が分かりにくい
そんなこんだあったラストで家福が舞台以外で感情を荒げた?シーンは印象に残った
けど、、ぶっちゃけそれだけ。
小説とかだと「余白を読ませる」という概念が存在する
映画の世界でも「間」は重要だ
だがこの作品は世界の色んな賞を受賞してることもあり、この作品を理解できないと「余白を読めない奴」と認定されてしまうのではないかという思いに駆られる
あまりにも余白が多い作品はもはやそういうフォーマットなのではないか?と思ってしまえた
それくらい無意味な「間」が多く、ただ単に長く感じてしまうように思えた