なんて緻密な脚本なんだろうか。
こんなミステリアスなストーリーを紐解く鍵が、至る所に散りばめられていて、見終わったあとも考えがグルグルと巡る。
もうここまで来ると考察と言うより妄想の域に達する。
メタファーに満ちた台詞。
長い映画も、全然長く感じさせない。
どのエピソードにも意味がある。
音がセックスの後の恍惚感の中で語られるストーリー。
みさきの母親の別人格。
ヤツメウナギ。
そしてチェーホフの戯曲ワーニャ叔父さん。
などなど·····
私には、この映画の中での1番のミステリーは、なぜ妻が夫を愛しながらも、浮気をしたのかだった。
妻は深い喪失感と悲しみと罪の意識を持っていた。それに気づいて欲しかったのではないのかと。心に踏み込んで欲しかった。本音で気持ちをぶつけたかった。
夫の優しさと弱さがそれを阻んでいたのかと。
高槻の車中で語る言葉全てが重かった。
“本当に他人を見たいと望むなら、自分自身をまっすぐに見つめるしかない”
戯曲のように、苦悩しながら生きる道を選択する。
家福はワーニャを演じることで自分自身を解き放ったのだと思う。
ラストシーンも想像力をかきたてられる。きっとみさきも新しい自分を見つられたのだと感じた。