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ドライブ・マイ・カーのkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

濱口監督がアフターシックスジャンクションのインタビューにて、「3時間の長尺は、それぞれの登場人物が"自然に"言葉を語り出すのには必要な時間(大意)」と仰っているのを聞いて、なるほどなあと思った。
見終わると、「あっという間の3時間」……と言うような感想は全く持てなくて「しっかり密度の高い3時間を味わった」と言うような感想になる。


既に感想を書かれている皆さんが言うように村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」だけでなく「女のいない男たち」収録の何編かを混ぜ合わせた脚本になっている。
特に「シェエラザード」は物語の重要なファクターとして使われている。
これは他のレビュアーさんが指定していて、私も「確かに」と思ったのだけど、初期三部作のひとつ「羊をめぐる冒険」も一部下敷きにしている様に感じる。
と言うよりも、さらに言えば最終的な物語の根幹は「羊をめぐる冒険」が最も大きな主題になっている様にさえ思える。
喪失と再生。但しこれは村上春樹作品には通底するテーマかもしれないが(失いっぱなし作品も多いけれど)。


私は海外文学が疎いので、「ワーニャ叔父さん」については全く物語を知らない為、その部分の素養があればよりこの作品に対して理解の助けになったのじゃないかと思う。


ラストの「実は傷ついていた。それを言葉にしていないだけで。行動で表していないだけで」というのは、驚くほど村上春樹の作品らしい。
個人的には過去の村上春樹原作で一番好きな映画は「バーニング 」であるけれど、正直甲乙つけがたい。
言ってしまえば後は好みの問題であるけれど、村上春樹の小説を読んだ感覚に近いのはこちら「ドライブ・マイ・カー」に軍配が上がるのではないか。


中盤に好きなシーンがあって、コン・ユンスとイ・ユナ夫婦の家で家福と渡利が食事を共にするシーン。
車の中でポツリと渡利が「素敵なご夫妻でした」とつぶやく様に話すが、納得の演技でした。
なんだか観ていて、心が暖かくなる。たまに見返したくなる。


更にゴミ焼却炉のシーン。
こちらも印象的で、広島に舞台が決まる前にここを市の関係者が案内し、建物の持つ「平和への理念」に感銘を受けたことが広島での撮影の決め手になったとか。
実際、ここは海辺の光の映り方も晴れやかでとても素敵だった。
そういえばそれで思い出したけど、YUKIの「うれしくって抱きあうよ」のMVで、監督の犬童一心はYUKIからの要望で日本の美しい風景をミュージックビデオにしてほしいとリクエストを受けたと言う。そうして出来上がったMVで映し出されたのはなんてことない平凡で「美しい」日常の町並みや、「ゴミ収集場」のシーンだった。
渡利は作中でゴミ焼却炉を眺めながら「雪みたいだ」と言う。
本来どこにでもあり触れているはずのゴミであるが、世界的にも清潔だと言われる日本社会に於いては、大量に集められたゴミ山は最早非日常であり、渡利の言うような「雪のような」美しさと錯覚してしまう気持ちは共感できる。


実は個人的に少し引っ掛かるのは、西島秀俊と岡田将生の演技。
少し邦画的すぎて、周りの国際色豊かな俳優陣から浮いている様にも感じる。ただし二人とも、家福音という、異なるベクトルで最愛の女性を喪失し、空っぽの何かを演じ続けている存在だとするならば、決してこの演技のアプローチは間違っていないのかもしれないけれど。
実際、ラストの北海道での西島秀俊の言葉は、それまでの邦画的演技アプローチは若干残しつつ、間違いなく心からの声に聞こえる最高の演技だったと思います。


それらを終え、本当の最後に、おそらく現在は韓国に住むであろう渡利と愛犬、そして車。
何というか、あの晴れやかな姿だけで良い映画を観たという気持ちにさせられる。
人生と遠くへ遠くへと走っていく車の姿が重なっていき、映画が終わる。
イーストウッドの「グラントリノ」ではその魂の継承を、車を譲渡することで表現し、物語が終わる訳だけれど、
本作では「グラントリノ」と異なり、車を何か呪いの様な存在としていた様に思う。
それから解き放たれて、渡利の手に渡り、彼女は颯爽とかけていく。
それはもうかつて家福を縛っていた呪いでも何でもなく、自由そのものの象徴である。
百億点。有難うございました。
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