takanoひねもすのたり

ドライブ・マイ・カーのtakanoひねもすのたりのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

原作は村上春樹の同名の短編小説
だけど、その短編が収録されている著書の中の他の作品からの引用も多い

主人公・家福の妻が語る物語は『シェヘラザード』から
予定が狂って自宅に戻ったら妻の浮気を目撃+「ちゃんと傷つかなかった」は『木野』

原作+他の作品からの引用をうまくはめ込みして村上春樹原作らしい匂いを残しつつも監督個人のカラーが強めに出ている映像化だなあと
何にせよ全体丁寧だなとは感じた
 
原作の黄色のSAABが何故赤になったんだろう……?とぼんやり考えつつ観ていたら、後半の北海道の雪景色で理解
雪景色に映えるのは確かに黃より赤か
字を読む小説と目で見る映像という手法による変更部分で納得

高槻(岡田将生)が原作より肉付けされており(より性格に難ありになってはいたけど)それを演じた岡田さんへの印象が残る
特に後半の車中で家福との対話で、アップの切り替えしのみが続くシーン、高槻の表情……というか目が
(ここで語られるある"物語の続き"は原作にない映画オリジナルな部分)
相手(家福)を責めるでもなく自分を憐れむでもなく怒りもなくただ哀しみの色だけがみえる

瞬間に去来したのは(確かに村上作品に登場する男性ってこういう表情を作りそう)というのと(撮影している時はカメラを見据えて演じてたんだろうけど、"鏡"のようで、こんな表情で見据えられたら透明度が高くて自分は真正面からは耐えられんな……)だった

物語は主人公・家福(西島秀俊)と彼のドライバーとして雇われる女性・渡利(三浦透子)とのぎこちない交流からのお互い抱える虚ろな心と傷の再生が主軸なのだけど、慎重にみっちり他のエピソードを絡めてくる(この部分に監督色が強めな感)

ベケットのゴドーが少し、チェーホフのワーニャ伯父さんがかなり
戯曲引用も、その割合のせいかラストにかかる再生への兆しにキリスト教的な思想が被る
『運命が送ってよこす試練にじっと耐え、生きていきましょう』
なんて台詞は死生観がキリスト教に近いほうがより共振する気がした

終盤、家福の再生は舞台の上で完結しているが、渡利については他国へ渡り新たな生活を始めた姿で締めくくられる
それが他国である必要があったかは疑問が残る
家福の車が彼女に譲渡されていることを鑑みれば、彼は喪失の"呪い"から自らを解いたと思うし、そこにあえて彼を登場させないことに余白を生むし、締めくくりのエピソードとしては悪くないとは思う
だけど車と渡利(と犬)で締めるのなら村上春樹はああいう風に書かないだろうなあという違和感は残った
始まりは村上春樹だけど終わりがそれらしくなかったというズレ感
だからどうだとういう訳ではないけれど



劇中の「レトリックはあるけどロジックはない」って言葉が良い
まあ大概、人それぞれ男女の色恋にはそういう側面があるだろうけれども、こういう言い回しはいかにも映画的な台詞らしい