YAJ

ドライブ・マイ・カーのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

【これは文学だ】

 実に見事な大人の作品。
 カンヌの脚本賞も納得の、手練れのアレンジ力だと舌を巻いた。村上春樹作品が原作とはいえ、その枠に囚われず、ネームバリューにオンブにダッコではなく、むしろ村上作品を踏み台に、より大きな物語に再構築してしまう、濱口竜介という監督の力量に驚かされる。

 観終わった直後は、これは村上作品の映画化ではなく、チェーホフ作品の映画化か?と思ったりもしたが、思い返してみると、村上作品のディテールを随所に滲ませるなど心憎い演出もある。大枠だけでなく、小技も効いた脚本が見事であった。

 原作は、数年前に読んだ。本作を含む短編集『女のいない男たち』から。当時のレビューを見ると、本作はあまり印象に残っておらず、登場人物の関係性や車などの道具立てが都会的でオシャレで、いかにも「らしい」なという記憶くらい。
 それらの役柄や建付けを利用したとしても、どうして3時間もの大作になるのかと不思議だったが、大きく飛躍させつつも、原作の核となる、心に傷を負った人間の救済や再生の物語が丁寧に紡がれていた。いや、むしろ丁寧過ぎて、説明過多とも言える贅沢な作品(なにしろ3時間だ)。

 とはいえ、要所要所で無駄な台詞は削ぎ落とし、なんなら無音でコトの真髄を表現する。映像で理解させるというのでもなく、書物でいうなら行間を読ませるとでも言おうか。そんな見事な演出が光る。もはや、これは文学だ!と言いたくなる趣きがある。

 とにかく驚くのが、原作では回想部分とも言える、物語の前日譚を40分以上かけて丁寧に描いたオープニング。The Name above titleが出てくるまで40分だ!
 「えっ、これから始まるの?!」という驚きがなにより新鮮だったなあ。
 その後の、濃厚な会話劇に、存分に浸りながら、あっという間の残り139分間だった。



(ネタバレ含む)



 村上作品を核に、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」等の舞台劇を絡ませる設えが良かった。読みの浅いYAJとしては、短編じゃ理解できなかった部分を補ってくれつつ、その舞台劇を創り上げる過程も十分堪能できた。

 主人公の家福(西島秀俊)が俳優兼劇作家という原作の建付けを上手に使っているし、文字では語られない、あるいは村上作品では高度なメタファで表現される類の心理や抽象概念が、芝居のセリフで表現されていたり、芝居の稽古を通じた人間関係で描かれていた。
 舞台稽古が執拗に繰り返される。特に印象的なのが「本読み」という脚本を理解する工程。字面だけを追って棒読みのまま、何度も何度も繰り返す。これは濱口監督ならではの独特な演技指導なんだそうだ(後追い情報)。
 多言語劇という独特の形態をとる家福のお芝居なので(日中韓西英・・・あ、手話も!)、互いに言葉が通じなくてもタイミングを理解するための工程なのだとばかり思っていた。台詞を身体に沁み込ませてから感情を注ぎ込むという濱口組の斬新な手法を使った演出が、村上作品のどこか日常を超越した不思議さと相まって、独特の雰囲気を作り出してた。

 こうして生み出された舞台「ワーニャ伯父さん」。その中で展開する対話が、随所で物語の進行や、家福やドライバーのみさき他、登場人物の心情を代弁するかのように符合していくのが、観ていて気持ちよい。

 そして芝居のクライマックスで、主人公家福の心が静かに救われていく。それを、娘ソーニャを手話で演じる韓国人女性(パク・ユリム)のセリフとして、つまり手話の理解できない観客のために字幕で提示される。それは、亡くなった妻から直接その秘密を聞き出せなかった、音声で受け取れなかった家福に、無音の世界でさしのべられる救いの手だ。このエンディングをして、妻の名が「音」だったというのも、いっそう意味深度が増すのだった。音のないシーンで静かに涙できる。心に残る名シーンだ。

 ま、全てが納得の完璧な作品ではなく、高槻という芝居仲間の存在は、原作でも出てくるけど、この映画のような若造ではないイメージだったので、その彼に亡くなった妻のことを滔々と語って聞かされる家福の姿が、なんかちょっとイタタマレなかったかなー。妻が不倫する相手としては、もう少し家福と世代の近い、少し年下くらいの味のある役者さんがよかった。

 逆に、納得のシーンは、本作をある意味ロードームビーに仕立てあげ、タイトルに一層意味を持たせた、広島から北海道へ向かうドライブシーンだ。宿と劇場往復のために雇われた運転手みさき(三浦透子)、十二分に存在感のある演技ではあるが、単にそれだけでは物語として厚みがでないところ、彼女の故郷である北海道に旅立つシークエンスで、彼女の過去とそこからの訣別が明確に描かれる。そこに昨今の自然災害までも詰め込んで盛り沢山なエピソードに仕立て上げた。

 まだ秋闌の広島から、初冬の北海道へ向かう家福とみさき。その服装じゃ寒いべ、と思っていたら、外套と長靴を買い揃えるために立ち寄るホームセンターが「コメリ」ってあたりが、あぁ北陸を通って行くんだな、という納得感(笑)

 実は、それだけではなく、新潟からフェリーに乗るために通る北陸自動車道は、作品として敢えてのルート選択だろう。上越あたりの道路標識が映る。先日、糸魚川市へ小旅行に行った時、帰路にそこを通ったのだが、僅か2,30㎞の間に、20超ものトンネルがある区間なのだ。次々と現れては流れていくトンネルのシーンは、あー、あるある!と納得なのだった。
 この連続するトンネルのシーンは、村上作品のお得意のモチーフ「胎内くぐり」を意味していることは、ちょこっと村上作品をカジっていればピンとくる。

 新潟から船に乗ってしまうけど、もう少し先まで足を延ばせば「胎内」って地名もあるんだけどね(笑)

 ハルキストなら、もっともっと隠された小ネタにも気づけたのかもしれないなと思ったりもした。濱口脚本、どれほど練られているか底が知れない。

 エンディングのシーンも、興味深く想像を掻き立てられる。
 コロナ禍での撮影だったことを巧く活かして、ドライバのみさきが買物中にしていたマスクを取るシーンがある。小さな、でも大事な伏線回収を、今の時代背景を使って演出に盛り込んである。

 なかなか恐るべしの監督さんじゃないのかなあ、濱口さん! あっ晴れ!
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