ゆり

ドライブ・マイ・カーのゆりのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

最近、辛いことに直面したときのことについて少し考えていたのでとてもタイムリーな内容だった。
辛いことがあると、子どもの頃は「悲しい」「辛い」「苦しい」と真正面から受け止めて打ちひしがれる純粋さがあった。
大人になるにつれてそういった負の感情を受け入れ難くなり、受け流してみたり、家福のように、何かしらの理由をつけて直視しないようにする。
知らず知らずのうちに、自分が立ち直れなくなるほどの辛さを恐れて、一種の防衛反応のようなものを起こし、どうにかしてその辛さから逃れようとする。
それがドライバーの彼女の母親はサチとなって現れていたのかもしれない。

音の死はそれ以上でもそれ以下でもないように、辛さというものは「とある自称」であると私は思う。家福は彼女の死を受け止めることを回避しようとして、それ以上のことにしようとしていた、なっていた。
音はくも膜下出血で死んだ。それ以上でも、それ以下でもない。
家福は高槻に向けて「自己コントロールができない」と告げるセリフがあるが、自己コントロールの能力が高いからこそ、あれほどの辛さに目を背けられたのだろう。西島秀俊は確かにそんなイメージにぴったりの役者だ。

「辛い」という気持ちはコントロールできない。できているように見えていたとしてもそれは新たな状態にしているだけで、きっかけがあればフラッシュバックして戻ってくる。

だからこそ、ワーニャ伯父さんのように、向き合っていかなくてはならない。1人では難しくても、同じ痛みを分かち合える人とともに前に進んでいく。

最近、自分の辛さは自分自身が辛い感情ごと受け止めてあげないといけない。とにかく、辛い辛い、と思いつつ自分を労ることが一番の回復法なのでは、と思う。そう簡単にいかないのが人の心だが。

ドライバーの子も受け止めて、顔の傷を治し、前に進めている様子が見れて、家福も同じように少しずつ回復していっているのだろうと思った。
ゆり

ゆり