ーcoyolyー

ゴッドファーザー(最終章):マイケル・コルレオーネの最期のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

4.0
レコーダーのキーワード検索のソフィア・コッポラで引っかかって録画されてたみたいなので容量空けるために観た。

概略の感想につきましてはオリジナル版の方読んでもらえればそれで事足りますのでそれ以外。

オリジナル版の演出や編集は相当野暮ったかったと思うんだけどそこがかなりスッキリと整理されて全体的に洗練されていたような気がします。前のver.でこんな気の利いたことしてた?と細かいところでちらほら目についた部分があった。もっともっさりしてたような。コッポラ父演出や編集は全体的に野暮ったい印象あるからこの再編集版はむしろ娘ソフィアが監督作品でやりそうなことを取り入れた感じあった。ちょっとしたところのテンポ感を整えるだけで観易さが段違い。コッポラ父の映画でこんなにストレスフリーでイラつかなかったの初めてかもしれない。
私、映画にしても文学にしても何にしてもそこにある物語とか超どうでもよくて、ただ文体が合えばいくらでもどこまでも付き合えるし合わなければその時点で見切りをつけてしまうだけの人間なのでこういうところは本当に大事。こういうところしか気にしてない。(村上春樹の小説は一行たりとも受け付けない割に村上春樹原作映画は好きな監督が映画化しがちでそれなりに観れてしまうのはそういうことなんだと思う。そこに何が書かれているかはどうでもよくて、それをどう語るかという部分、その作り手の文体に身を委ねられるかどうかしか気にしてない)

2022年、ウィノナ・ライダーとソフィア・コッポラの現在地を確認してみますと、結局メアリー役はソフィアで良かったんじゃない?とは思ったりもします結果論としては。

ただ私このシリーズの良いお客さんではないので前回観た記憶もほぼ残ってなくて、ひたすらソフィアこれで(最期以外は)問題ないじゃんメアリーってキャラ自体がこういう人じゃんと憤っていただけだったと思うんですが、そのソフィア贔屓の私でもこれはちょっと…と思った部分を今回かなり変えてきたような気がする。あそこの演技だけはちょっと擁護できない感じだったのに結構な尺使って悪目立ちさせちゃってその結果巻き起こった大バッシングが父としてはどうにも許せないこの作品の瑕疵だったのだと思う。キャスティングの責任は自分にあるわけですし。なのにその矛先が全てソフィアに向いちゃった。その演技にOK出したのも自分なのに。だからもうソフィアを守るためにこの仕事はやり遂げなければなかったのだろう。あのシーンでのソフィア素材を使うのは最低限に留めて、後はアルパチさんやダイアン・キートンさんがばっちりキメてる素材に変えていた。

だから結局ファミリーを守るためにはどんな手でも使う・手段を厭わない、という精神をどう取るかですよね。コルレオーネファミリーの物語から逸脱してコッポラファミリーの物語にすり替わってしまってることを良しとするかどうかという。

再編集ではメアリーとマイケル・コルレオーネの物語ではなくソフィアとフランシス・フォード・コッポラの物語へと踏み込みすぎてはいる。

私はこの物語とかマフィアの世界観とかどうでもよくてPart3に関してはソフィアへのやっかみから世界中に吹き荒れた大バッシング、罵詈雑言がとにかく気色悪いと思うだけの人間なので、父として娘を守るためにこの作業は何としても成し遂げなければならなかった、というフランシス・フォード・コッポラの姿勢や心意気を支持します。ですけれども元々の『ゴッドファーザー』という作品のファンの方々は相変わらずソフィア・コッポラを罵っていてもそれはそれでそういうもんなんじゃないですかね?コルレオーネファミリーの物語が変質してしまったと怒るのもそれはそれでそういうもんなんじゃないですかね。交わらない平行線は交わらないままお互いの世界を尊重して踏み込まなければそれでいいのだと思います。
ーcoyolyー

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