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ボブという名の猫2 幸せのギフトのLCのレビュー・感想・評価

4.0
面白かった。

作品結構冒頭の方、本の屋台で猫さんの本売ってるの、本人ぽいなあ。と思ったら、クレジット画面で同じ名前( James Bowen )が記されていた。本人だったんだなあ。思わずお辞儀しちゃった。

前作より、主人公の人柄がもう少し見えやすくなっているように感じる。
「いつも自分のことしか考えてないのね」と怒られる場面があるが、自己中心的在り方が過ぎるわけでもなく、猫さんと自分の双方が共に存在する生活を守ることに集中していたということがわかる。というか、脅かされないように気を付けていた、というか。子を持つ親のよう、というか。
聖人ではないけれど、成長している。みんなそう。
しかし、やはり「お前では不適格だ」と伝えてくる足音は存在する。

色んな人と交流する中で、主人公は「猫さんにとって最善の道」を真剣に考える。自分にとって好ましい道と、猫さんにとって好ましい道は違うかもしれない。
そういうふうに苦しむのは、猫さんが人の言葉を話せない存在だからということでもない。実の娘とずっと言葉を交わすことのなかった人も同様だろう。
今、対象の本心を知る術がない。でも、幸せを真剣に考えてしまう。自分の幸せではなく。なんなら自分は悲しみに暮れて眼(まなこ)を泣き腫らしてもいい。
一方、周囲の人々は、それぞれの距離感で、それぞれの伝え方で主人公を支える。
それは、主人公が彼らにとって決して脅威ではなかったからだ。伝えた言葉は彼なりに受け取ってくれるし、猫さんへの愛情は隠そうともしないし、薬と距離を置けたからといって人を依存対象にする弱さもない。暴力や暴言に訴えることもしない。仲間として受け入れることができる人だった。
経験がないなりに、ある意味では幼いなりに、自責にも他責にも絡め取られることなく、ただただ猫さんを大切にしたいという、その姿勢が見えた。猫さんをダシにして、他者に取り入ることもなく、自分の立ち位置を理解していたし、猫さんの安全や幸せを1番に考えていたからこそ、そのようにする暇がなかった。

周りの人が、直接的にしろ間接的にしろ、支えたいと思えたのは、猫さんの可愛さによるものだけではない。猫さんは無条件に崇められても全く不思議ではない生き物だけれども。
主人公は、他者の痛みに寄り添える人だった。
慈善団体に泥棒が入ったんだけど?という時も、周囲が視界に映ってなかっただけで、教えられたらしっかり状況は把握できたわけだし。敵だと思ってたのに少し話しただけで誤解を認め、やはり相手の気持ちを尊重するし。軽蔑されてるかもしれないし、確かなことはわからないけれど、あなたにとっては心の中にきちんとスペースを設けて生きる希望にしている対象なんでしょう、相手にもそういうものがあるでしょう、と。

ぶちのめされて倒れても、起き上がる理由がない。そのように、絶望の中で諦めてしまう人が、また立ち上がれるような支えとは何なのか。
そうだね、猫さんのふわふわしっぽにぺしぺしされることだね。驚いて顔を上げたら、きっと目が合う。上手く表現できないけれど、取り上げられたくないものって、そんな感じかもしれない。
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