レインウォッチャー

栗の森のものがたりのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

栗の森のものがたり(2019年製作の映画)
3.5
かつて《栗の地》と呼ばれた村で、ここに繋ぎ止められた老夫マリオと、出て行こうとする女マルタ。二人の過去/現在、現実/幻想が織り合わされて、小さな詩を成す。

いわゆる《未回収のイタリア》にあたる土地だろうか。イタリアとスロベニア(旧ユーゴスラビア)の国境、トリエステのあたり。どこの国に属する土地か長きにわたって不安定だった、この何処でもない場所で、あったかもしれない物語。

レンブラントやフェルメールに影響を受けた、という作り手の言葉も納得の、光量を抑えた淡い影が包む画面。
グレーとブルーの中間の寒色が中心となり、黙した自然に囲まれた人々の孤独・寂寥が強調される中、ふと夢の風景に広がる暖色がいっそう輝く。競うように燃える落ち葉や、波面を撫ぜる黄金。

言葉少なで連想に訴える、美しく魔術的といえる作品だけれど、ことさら想い出を美化したり、あるいは郷愁や悲哀を煽ったりするような印象はない。胸に溜まるというよりは、波を立てたままに流れていく。

これは、当事者ではなくその後の子の世代による作品、という距離感の作用かもしれない。決して悪い意味ではなく、この隔たりゆえに「このように生きる他なかった」という諦念に近い感覚が伝わるところもあるように思う。作り手は、この物語を《最後のおとぎ話》と呼ぶ。

外の国に希望を探そうにも、この漠とした土地に生きてきた人々(特にマリオのような老人)にとっては無常感のほうが先に立つのだろうか。静かな空間を時折破るポップス(シルヴィ・バルタン)は、どちらの国のものでもなかったりして、空虚に鳴る。

冒頭、森の地面に掘られた長方形の穴に、やがて栗が埋められ、落ち葉が被される。この《埋葬》の刷り込みは、全編にほのかな死の気配を与える。それは老いて去りゆく人々の、置いていかれるこの土地の、後悔の死。
このイメージは、大工であるマリオが作る棺によって具現化されて、成し遂げたこと、できなかったこと、誰かに託すことへと繋がるようだ。

知らなかった場所、きっとこれからも知らない場所で確かに生きていた人々が過ごした時間を思う。傘の表にはたはたと触れた雪のように、音の記憶だけを残して消えてゆく。