ラウぺ

栗の森のものがたりのラウぺのレビュー・感想・評価

栗の森のものがたり(2019年製作の映画)
4.2
第二次大戦後しばらく経ったイタリアとユーゴスラヴィア(のスロベニア)の国境沿いにある小さな村。木工職人のマリオは木の根元に座って馬車を待っていた。やがて来た馬車に乗り、マリオは回想に耽る・・・

最初の“しみったれのマリオ”と題されたチャプターでマリオが酒場でイタリアのじゃんけん?みたいなゲーム(後で調べたら“モラじゃんけん”=Morraというらしい)に興じ、仲間のズルに立腹する場面、“しみったれ”と題されていますが、マリオの頑固で融通が利かないが何事も真剣に打ち込むらしい性格が端的に表現されていて、ちょっと可笑しい。
次の“最後の栗売りマルタ”のチャプターでは夫を待ち続けるマルタの様子を淡々と見せ、帰らぬ夫の消息を片時も忘れることのできない様子を描いていきます。
二人が出会ってからお互いの境遇を語り合うことで、“忘れられた土地”といわれるこの地に生きる者の世代を超えた悲哀が、なんとも身に沁みるのです。

戦後の旧ユーゴスラヴィアはその後の内戦や分離・独立などで悲惨な歴史を経験することとなり、この時期はまだ悲劇の端緒といったところですが、村人がどんどん流出して“忘れられた土地”となっていくことの空虚な感じは、やはりその歴史を実感した人々が持つ独特のリアル感を伴っているのだろうと感じられるのです。
マリオが病気になったドーラを医者に連れて行くと、頭に冷湿布でも貼って寝てろ、と素っ気ない対応。マリオが必死で懇願すると渋々「この薬を1日2回、スプーン2杯をお湯で溶かして飲め」と言われる。
医者の木で鼻を括ったような対応はこの“忘れられた土地”特有の無力感の表れでもあるのですが、こうしたセリフは現地の事情に通じていなければなかなか出て来ない感覚だと思われます。

映画は全編淡く、ほの暗いトーンで統一された映像は全てのシーンが絵はがきのように美しい。
誌的な映像に相応しく物語はゆったり進んでいきます。
マリオの回想は時系列をランダムにして挿入され、マリオの妻のドーラが病気になったときのことや新婚当初の頃、どこかに行って消息のつかめない息子ジェルマーノのこと、マリオが何度もジェルマーノに宛てて書きながら引き出しに貯めている手紙のことなど、偏屈でケチな爺にも愛すべき要素が隠されていることが次第に明らかになっていきます。

劇中にジョン・ケージからなんだかよく分らないポップな“パガニーニの歌”?とか、田舎の楽隊の妙に能天気なVn,Cl,Cbのトリオなど(このへんの音楽的な雰囲気はやはりエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』を彷彿とさせます)唐突な挿入は、一歩間違うと地味で淡いだけの話に良い起伏を与えてくれる感じ。

冒頭のナレーションで、“あくまで聞いた話だ 一つのお伽話みたいな話さ”というくだりが、後半の物語が進むことで、なるほど!となる。
このちょっと驚くような意外さのさりげない感じが心地よいのです。
物語が閉じられるところのちょっと泣く、しみじみとした余韻が、この不思議な肌触りの映画をなんとも愛おしい気分にさせてくれるのでした。
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