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栗の森のものがたりのLudovicoMedのネタバレレビュー・内容・結末

栗の森のものがたり(2019年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

《朽ちてく時間に閉じ込められた者は死者と遭遇する夢を見る》

このタイトルからは想像もつかない謎のクラクラ感といい、忘れられない観念的ビジュアルでもって難解げな過去と現在の同化をいとも簡潔に体験させてしまう。完全に私の大好物なタイプの作品だわ。なんせ『ノベンバー』を上映した激レア映画専門配給会社がくだらない作品を流す訳がなく、超絶マニアックな映画だった。

衰弱しきったおばあさんのベッドに雪が舞う、誰もいないはずの空き家でカーニバルが現れる、ボンヤリした画面が気づくと港町に歩く人々の映像を提示するなど、現実ともおぼつかない中を彷徨う。『惑星ソラリス』、『パプリカ』、「12モンキーズ』アピチャッポン映画といった映画の記憶が頭をよぎりつつ、そのどれとも似つかない奇妙な構造になっておる。

舞台は栗の森に包まれた山間地帯に長年住みつく老夫婦と戦争に行ったっきりの夫が心残りな上京したい女性マルタ、接点のない2組をチャプター別に振り分ける構成となっているが、厳密には老夫婦の夫マリオが回想していたことが明かされることとなる。しかもその思い出し方が、眠りに陥りそうな状態からなため意識が抜けると夢にマリアージュされた思い出として回想が曖昧模糊になるのだ。こんなマジックリアリズムもどき見たことねえわ。

さて、ウィレムデフォー似のマリオの日常は退屈であり、ともすれば退屈調な映画に見えるのもよくわかる。しかしヘンテコな賭け事が始まる退屈なくだりが一気に磁場を発生させ惹きつけられるバカバカしさだったと思える。そして貧困と劣悪な生活環境ありきで成立するこの映画は画面から強烈な死期感が漂う。それはマリオの妻はもちろん、死者とのコンタクトや回想も一種の走馬灯として置き換えが可能だ。
とにかくマリオの妻の死相がエグすぎて呼吸が辛そうな演技から、あの冥利に尽きた安らかな表情で居た堪れない気持ちになる。『キラーズオブザフラワームーン』を超える死のお告げが何度となく訪問しては死化粧されたり、呪文を唱えられる。一方睡眠中の妻をマリオが棺桶の寸法測ったりと切ない気持ちになり、そこにトドメを刺してくる「地獄へ落ちな」と最後の一言を呟かれるのだった。

やがて接点のないチャプターの唯一の繋ぎ目となる場面がやってくる。栗が川に流れる非日常光景を捉えるカメラとマリオが流れと一緒にゆっくり移動した先にマルタが居り、複雑に回りこんだカメラが見上げると対岸にマリオが見える。あまりに流麗すぎる一連に見惚れてしまった。恐らくこの辺りが最も曖昧模糊な魅力が炸裂しており、妻とマリオの回想パートだった空き家に泊まる場面が謎の楽隊と共に宴会に誘われ目覚めるとマルタの家で起こされるマリオの姿となる。つまり妻とマリオ視点(回想)→妻(の主観)の夢→目覚めるとマリオ視点というどこに連れてかれるか分からないぶっ飛んだ移ろいをかましてくる。
続いてマルタがタバコをボワっとふかす印象的なセンスの構図から切り返すと夫と思しき人物が平然と立っており、奇妙に再会する。翌朝、マルタがこの地を旅立つための資金が足らず業者と揉めている様子にマリオは「俺をいい思い出にしてくれ」と金を渡す。すると死期感に塗れた雰囲気に恍惚の朝日が差し込む。生前の妻への後ろめたさを、ある意味自分勝手に埋めようとする善意、または失われゆく土地と記憶に存在を焼きつけようとする行為が表現主義的な一瞬を映しなんとも美しい。

この回想が循環するような違和感は単に時間軸あべこべ手法をやってる訳でなく全体がメビウスの輪のように織りなされた物語構造で時間を解体した。

その結果、ヤブ医者の奇妙なデジャヴそして「失礼旦那、馬車待ちかね?」 と回想が追いついた瞬間、鳥肌が立った。全てはマリオが馬車に揺られながら消えゆく思い出(時間)が動き出した(回想)時、やがて寓話へと語り継がれていく奇跡を捉えていたのだった。
なんて神秘的な想像力。まさに死の間際に感じるWhat a Wonderful Worldを呼び覚ます映像化に絶句させられた。非常な怪作には違いなく気が散る超躍演出だと思うが、これほどの奇想を成立させていることに凄まじいものを観た感動を味わった。
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