原作が話題になっていた割に、Netflixの映画はそこまで話題になってる印象でもないなかで、遅ればせながら拝聴。
原作読んでなく、没入することもなくぼんやりとみていたが、なんか周りにシェアしてどうこうというよりも、僕の心の柔かい場所をいまでもまだじわじわ締め付けるような映画だった。言うならば、エモい。
自分ひとりで自分のプライベートな部分に向き合うような、なんかSNSの投稿というか、2chまとめとか、はてなの匿名記事とかを、そんなのを読んでるような気持ちになった。
あーエモいなーと思いつつ、劇中の時系列を遡っていく風景を見ながら、
「エモい」という言葉は、かつて2006年とか2007年とかその頃に、エモ/スクリーモというジャンルのメロディアスな曲を作るアメリカのバンドの曲を聴いた時に、その叙情っぷりが自分の心に響いた時に使う言葉と認識していた。
10年ばかりの時空を越えて、エモいという言葉がまたいま市民権を得ているのだろうか。実はもっと昔から、あったのだろうか。
思いを馳せるとエモい。
「2020年代のモテキ」と誰かが書いてるのを見たが言い得て妙だなという気持ち。