藻類デスモデスムス属

くれなずめの藻類デスモデスムス属のレビュー・感想・評価

くれなずめ(2021年製作の映画)
5.0
生き生きとした映画だった。駅前劇場から、彼らはずっと、つるんで歩いてきたんだろう。引き出物を手に提げ、「くれなずんでんなあ」とかいいながら。演出と構成が楽しく(冒頭よしをがマイクを握るところでこれは好きなやつだと思った)、また、ひとりひとりの役がくっきりしており、映画でありながら舞台も同時にみえるようだった。

よしをがマイクを握ったとき、この作品は演出されたものになって、振りをすることを手放している。のっけから、いとも簡単に、すごいと思った。その後もこちらとあちらを、易々と行き来する。平気でとびこえてみせる。まるで境なんてないかのように。その下には自信がみえる。作り手の「作り物」への信頼に、目が開かされる気持ちがした。

そこには若さがあるようだった。じゃあ、若さってなんだとなる。自分の中の「若さ的じゃないもの」を考えると、簡単にいえば、怖いものが増えたなあ、となる気がする。みんな、思ったことをそのままいってはいない。こぼさないように気をつける。彼らもまた、それぞれ抱えているものがある。ただ、こぼれてしまっている。

こぼれて、ふざけ、平謝りし、取り繕い、爆笑し、スルーし、泣きべそをかく。そのあふれ、泥(なず)んだものをみて、嫌な顔をする人や、引き攣った笑みを浮かべる人がいても仕方はない(品のない余興でもみたように)。しかし、夭さは去らなければならないか。こぼれたものは、みえなくならなければならないか。いや、そうではない、という強い反語がこの作品であるし、よしを自体が「こぼれたもの代表」である。雲に隠れた夕日が沈まずにいる。空はそのことを伝えているし、側溝にたまる泥にも妖しい光をみるだろう。