コーカサス

トキワ荘の青春 デジタルリマスター版のコーカサスのレビュー・感想・評価

4.0
心優しきテラさんの“まんが道”

漫画の聖地・トキワ荘。
かつてベル・エポックのモンマルトルに前衛的な芸術家たちが集まったように、ここトキワ荘も漫画の神様である手塚治虫を慕い、多くの才能ある漫画家の卵たちが、日々切磋琢磨しながら明日を夢見て創作に励んでいた。

そのトキワ荘のリーダー的存在“テラさん”こと寺田ヒロオを筆頭に、既に才能を開花させていた藤子不二雄と天才・石森章太郎のほか、まだまだ自身の才能を見出だせずもがき苦しむ赤塚不二夫、のちにアニメ界へ方向転換する鈴木伸一や漫画そのものを諦めてしまう森安直哉らが「新漫画党」を結成するが… “時代” と “読者” は、徐々に彼らを篩に掛け始めていく。

トキワ荘を振り返る回想録と云えば、手塚の『トキワ荘物語』、石森の『章説・トキワ荘の青春』、藤子の『まんが道』等、出身者のほぼ全員によって描かれているが、全ての作品に共通するのは、テラさんの優しい人物像だ。
しかし、その優しさや生真面目さが、皮肉にも彼自身を苦しめることになる。

健全な児童漫画を健全な子供たちに提供しようとする彼の使命と拘りは、過激な劇画ブームを否定し続け、ついには時代はおろか仲間からも疎外されてしまう。

つげ「いい人だよ、寺田さん」
赤塚「じゃあ、また来いよ」
つげ「いや、もう来ないよ」

つげ義春と赤塚の会話が印象的だ。
人や社会と上手く適応出来ず、生きることに不器用なつげは、 寺田が “自分と同じ人間” ということを知っている。

心優しきテラさんと、彼の分身とも云える『スポーツマン金太郎』や『背番号ゼロ』にとっては、ちょっぴり時代の流れが早過ぎただけであり、トキワ荘という聖地で才能を磨き合った若者たちの青春は、誰もが正解であり、美しく見えた。

尚、物語では描かれなかった寺田の晩年だが、1990年6月23日、突然トキワ荘の仲間たちを自宅に呼んで食事会を開き「もう思い残すことは何ひとつ無い」と家族に話したのち、一切世俗と関わらず、ひとり自宅の離れに住み、母屋に住む家族とも殆ど顔を合わせることのないまま、その2年後の9月24日に息絶えた姿で発見、死因は自殺同然の衰弱死だったという。

あらゆる事象を表現出来る無限大の可能性を信じた石森が、漫画を【萬画】と宣言するならば、一方で寺田の漫画は、優しさに満ち溢れた【満画】と呼ぶに相応しい。

“時”は優しく流れても、 “時代”は激しく流れ始めた日常を、静かに切り取った名作である。

126 2021