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映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園のMHRのネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

一生大事に見返すかも。めちゃくちゃめちゃくちゃ面白かった!!これはすごく良かった。電車の中で泣いているので、他のお客さんには申し訳ないが、みんな「天カス見てて」と言ったら笑って許してくれると思う。一緒に泣いてくれる人もいるかも知れない。それくらいいい映画で、素晴らしい子供向けのアニメ映画。一つだけ気になるところがあって、やっぱり見終わった後も、そこだけは良くなかったと思う。人によってはそのせいで見たくなくなってしまうだろうし、それ以外が素晴らしいのだから、本当にもったいない。「ガキンチョ」の描写は、別にああいったようにする必要はなかったのではないかという話。私が見ている間、鑑賞後に真っ先に思い浮かべたのは「パプリカ」なのだけれど、「ガキンチョ」化に関しても、あちらのそのまんま模倣で良かったように思う。引っかからない人もいるだろうが、私は気になったし、多分私だけではないはずだから。子供のためのパプリカであり、もっとうまくやりようのあるような映画。号泣。

私のアニメ映画前年の傑作は「窓際のトットちゃん」でこれも非常に良くできていたが、さてしんちゃんを映画館で見ていたらどうかわからない。ただやはり、そうした「あらゆる子ども(かつて子どもだった人)見てもらっていいようにする」の意味合いではさすがトットちゃんに軍配が上がる。大人向けのアニメでもある、という色味があちらには強かったから、というだけではなくて、単純に「絶対に茶化さない」という心意気を強く感じた。(これは不謹慎ギャグがだめ、という話ではない。その辺に関しては時代に合わせてすごく良く考えてるんだろうな、とむしろ感心したから。) こちらも、たとえばちしおちゃんの話に関しては「ここでそうしなかったの偉いしめっちゃ好きだな」などと泣いていたのだけど、いかんせん「ガキンチョ」に関してはあれ完全笑う文脈だった。ちょっと笑えないな、とわたしは思う。頭で考える前に笑ってしまいたくなるような、うまいアニメーションだからこそ、ちょっとひっかかるところがあった。私が気にしすぎと言えば気にしすぎなのかもしれないが、なんとなくのしこりとして残る。

それでもそれ以外は本当に素晴らしかった!!!!!すごく面白かった。子ども向けである意味があり、シーンに意味があり、悪者を作らないシステムがうまかった。推理も面白かったね!ミステリとしてよくできてると公開時から話題だったが、なるほどよくできていた。ミステリってジャンルを超えて「子供につくった映画(わたしはありとあらゆる映画の中でこれに1番泣いてしまう ひいてはかつて子供だったすべての人を受け入れるということだから)」として最高の完成度だと思う。大きな箱で上映して、たくさんの人が見て、映画館で見てたらそういうことにも泣いてしまったと思う。だって明らかに私の話です。ひいては何かしらみなさまの話。青春、てキャッチーに言い換えたものは徹頭徹尾「ある時点によく存在すること」で、その描き方が多様で良かった。青春とは何か? AIの描き方がちょっと古い感じもしたが、まああのシーンは必要だった。「ロロさんじゃない!ロロさんは学園を楽しんでるし、みんなを傷つける理由がない!!」も同じような意味でよかったね。ロロさんは学園を楽しんでる、と自然に言い切るボーちゃんのあこがれ。そう、今回はあこがれ/恋の描き方も良かったよ

アゲハちゃんとフワちゃん、別に面識無さそうでリアルだった。そりゃノリは似てるかも知れないが、という。アゲハちゃんが別にちょういい人ってわけではなくて、それも良かったなあ。仲里依紗もうまい。

ものすごく上手く作ったナルト、と簡単にまとめてしまったけれど、とにかく最後まで風間くん(サスケ)としんちゃん(ナルト)が話していて最高。交換し合うのは腕ではなくやきそばパン、これからも2人は続くし、なによりいくらでも失ったものに「ごめんね」ができる子供だから。ナルト全編を終わり方から遡ったらこういうふうな話になったんだなあ、とぼんやり思いました。本題はカグヤ戦ではない‥‥‥なかったの?!の一瞬の驚きがまったくなく、全てがシームレスに結集していくラスト。最終話に当たる部分をエンドロールでさっとまとめていたのも良かった!!漫画にはエンドロールがないから最終話(ワンピースの扉絵が一番機能似てるな)だが、映画ではこう未来を扱える。アニメ映画であること、の効果がひたすらにあってよかっなあ。繰り返しになるけど、走るときの「これは全然笑いどころじゃないんだよ」てメッセージが良かった。これが私。そしてこれも「私はしんのすけ」の映画。これが私、ここにいる私、あなたと違う、でも誇りを持った私だ。ハイキューは全てが試合に向かってスポーツとしてとにかく素晴らしく、じゃあしんちゃんはどうすればいいの?と思ったら「やきそばさん競争をしよう」で膝打って笑った。大好き。そしてそこに全てがある。まとまる。走って走って駆け抜ける。人が全速力で走ってる映画っていうのはいいし、全てがある場所に集約されるラストにとにかく弱い。

1週間が長いようでしっかり短くて、子供の時間をよく表していた。すごく長いようだけど、実際にはすぐ飽きちゃうだけだし、普通に短いんだよね。

「はい、」てみさえがしんちゃんをきつく抱きしめるところでめちゃ泣きたくなった。すごくリアルで、すごく泣く。一週間いないんだもんね。私にはああいう記憶が確かにある。あった、と思い出したときの気分。

悪者は別に大々的に改心しない。悪事というより、「改める」「方針を変える」でしかない、彼は別に悪人ではないから。

マカロニえんぴつの歌、あんまり歌詞を映画に合わせるタイプではないのかあと思うが、メロディーが良くて聴いて泣いてる。

私がずっと思っていたこと、映画を見ながら薄々感じていた切実な寂しさがラストで大々的に取り扱われて、というか最初から風間くんにとってはその話でしかなかったと叫ばれてだめだった。ね。どうすればいいんだろうね。今回はひたすらしんちゃんの「ばかさ(会話が意図した通りに受け取られないこと、の言い換え)」が光った。だってオラ今しかないもん。それもそうだね、ただしいね、とわかりながら、きっと風間くんは「それでも」と思ったんだろう。それでも学校は変わるし、それでも僕は私立に行くし。お前は僕の道は歩まないし、お前だけじゃなくてみんなも歩んでくれないだろ。夕日の廊下、大きな柱に分かれたシーン。ただしんちゃんは「さっきなんか言おうとしてたけどなあに」て振り向いてくれるんだよ、と大きなお友達としては背中をたたきたい、でもさー。どうしてずっとお友達じゃなくなっちゃうんだろう、そういうふうに思っちゃうんだろうね。環境って何なんだろうね。「いつか僕がエリートになったらまた勝負しよう」で風間くんが一旦の折り合いをつけたようで、そこにもまた泣いた。あれは少し別れを考えていないと出てこない言葉だ。ええそれ今生の別れでしか言わないセリフじゃん、と泣きながら思って、気付いてまた泣いた。そうなっちゃうかも知れない。でもなれるし、勝負するよ。と私は言えなくて、ひたすら祈ることしかできない。
みんなが元気な大人になってくれればいい。わたしが今作の子供たちみんなより年上で、そう願う側になってしまったことに驚く。時間が早い。

映画が本みたいに持って開いて閉じられればなあと思うことがたまにあって、今回はそれです。とても面白かった。今年のベスト級です。私っぽいベスト級。

すごく長くメモしてしまったが、するほど取り逃す感じがあってくやしい。とにかく良かった、好きだった。あとこれ1人でかかえきれないからめっちゃファンダムを探しています。

追記
風間くんの問いかけに安易に「友情は永遠だ」と言わないのが誠実だった。「永遠の友情なんてない」と言わないことも誠実だよね。そんなよわからないし。今しかない、としか言えず、かげかえないからこそ大事にしましょうねとかではなく、ただただ単純に今しかないから今を生きる。クサくならないところで最適解(解を出さないという解)を出してて良かった。ただ本当に友情が願う限り続くことを祈ってるよ。
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