ナミモト

ハウス・オブ・グッチのナミモトのレビュー・感想・評価

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
3.8
『最後の決闘裁判』に続いて、リドリー・スコット×アダム・ドライバー作品。
リドリー・スコットは、アダム・ドライバーに与える役において、アダム・ドライバーを救う気持ちは皆無なのではないかと…。
アダム・ドライバーの、高身長でマッチョな体躯がマチズモ的だとしたら、それに対するレディ・ガガの胸の大きさやくびれを際立たせた肉感的な体躯は女性的であった印象です。
『最後の決闘裁判』でもそうであった印象ですが、ぶつかり合う男と女の事を描くけど、どちらの立場にもつかない、援護しない、という姿勢は変わらずだったのではないでしょうか?この突き放したような、客観性は、傍観しているわけではなくて、この距離感があるからこそ、好印象なのかなぁ。
個人的に、この作品を見る前に『プロミシング・ヤング・ウーマン』を見ていたので、そちらがどちらかと言うまでもなく女性を援護する作品であったので、その時に感じた違和感は、もしかしたら、この客観性の有無に基づいているのかな、と感じました。
わたしは、どちらの味方にも付けない(付かない)、というリドリー・スコットの立場は、結構、二項対立でわかれ切らない人間としての本質を捉えていると感じます。

あと、アート作品。クリムト、マーク・ロスコ、ロイ・リヒテンシュタイン、ダリのソファ、あとおそらく複数点ありましたが…、1970年代からのアートがばっちり。お父さん所有のクリムト作品が始まりなのも良いですね。マウリのセリフ「アートには何の価値もない。値段なんてないんだ。」が記憶に残りました。アートは、革製品と比較したら確かに無価値です。麻布と油絵具ですから。使用価値がない。でも、その作品には価値があるとされ、高値がつく。これって、ブランドもそうですよね?グッチがつくから高値になる。ただのマグカップにグッチマークがつくだけで、バブル景気の日本人は喜んで空港で買って帰ってたんですね。日本人恥ずかしい。マウリが、「アートには何の価値もない」と言う時、それはブランドとしてのグッチには何の価値もない、と言っていることと同義かな、と感じました。では、マウリが価値があると感じ、グッチ社の中で守りたいものって何であったかというと、おそらく家族なんですよね。マウリは結局、その家族を守りきれなかったのですが、グッチという家名に、そのブランドに翻弄された一族の悲劇の物語なのかもしれないと思うと、割と古典的なテーマに行き着く一作品と思います。ただのグッチのブランドの歴史ではなくて、ですね。
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