さく

ハウス・オブ・グッチのさくのレビュー・感想・評価

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
2.0
『最後の決闘裁判』は名作だったので、期待大で臨んだのですが…
特別グッチというブランドが好きなわけでもないので、「へーそんな歴史があったんだ」と言う意味では勉強になりましたが。

ともかく、映画化するには充分すぎる波瀾万丈の人間劇が脚色等はあるにせよ、事実を元に作られたというのが凄いのはわかるのだけれど、どうも良い素材を生かしきれていないように思いました。

レディ・ガガ、アダム・ドライバー、アル・パチーノ…役者の演技は素晴らしいと思いましたが、何かこう端的に言ってつまらない。事実は小説より奇なりではないですが、素材もプロットも良いはずなのに、何なのだこの単調さは。事実としては衝撃的だけれど、映画としては凡庸になってしまったように思えます。

何が悪かったんだろう。

ここから先、多少ネタバレも含みます。

まずマウリツィオ(アダム・ドライバー)の変貌がストーリーの肝になってくるんですが、変わってしまった理由付けが弱すぎて、パトリツィア(レディ・ガガ)でなくとも「何で変わってしまったの…?」となります。パトリツィアが「何で?」となるのは問題ですが、見てる側が「何で?」となるのは、あまり上手くないと思います。

単純に「新しい女ができたから」だけで片付けるのはあまりにも軽すぎるし、まぁ百歩譲ってそれだとしても、相手の女の描き方が薄くて存在感無さすぎだし、それを物語の重要なファクターにしてしまって良いの? と思います。パトリツィアの立ち居振る舞いに嫌気が差したというのもあるのかもしれませんが、人が変わってしまうのを描くのに重要な「強い葛藤」が描けていないと思います。

結婚相手や恋人が、当然人が変わってしまってそれがキーとなって物語が進行する、というのは良くあるパターンではあるけれど、良くあるパターンだからこそ「何で変わったのか?」をどう描くかが、脚本なり演出なりの腕の見せ所だと思うのですよね。ちょっと本作はうまく行っているとは思えませんでした。

それこそパチーノが主演の『ゴッドファーザー』なんて、マイケル・コルレオーネが変わっていく様を最高級の上手さで描いているじゃないですか。そんな名作と比べるな、というのもありますけど、こんだけ長尺ならもっとやりようがあっただろうと。
ところで、久しぶりに見たパチーノは(最近の柔らかい)長州力みたいになっていました。

一方、逆のパトリツィアの側に立ってみても、殺害に至るまでの気持ちの高まりみたいなのの描き方が不十分で、乗り切れない。もちろん子供の件とかネタは揃えているけれど、台詞で「子供が会いたがっている」とか言うだけで、寂しそうな子供を描かないから気持ちが昂ってこない。ここでもどうも良くあるストーリーパターンを当て込んだだけで、ドラマが描けていないと思う。

そうした人間ドラマを描くのではなく、事実を元にしてグッチ家のお家騒動を淡々と描くのが趣旨なのだ、と言うのならば、もっと過去の歴史やらグッチにまつわるエピソードを描くべきだし、その点から見ても弱い。グッチってカタカナで書くと「グッチゆうぞう」みたいですがね。グッチゆうぞうに絡めるわけではないですが、音楽の使い方もあまり有効的ではないように思えました。これは私の好みの問題も多分にありそうですが。
さく

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