しおまめ

竜とそばかすの姫のしおまめのレビュー・感想・評価

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
3.5
日本を代表するアニメ監督、細田守の監督作を体験したのは今回で二回目。
今作の舞台のひとつであるネット上での仮想空間は、代表作「サマーウォーズ」や「ぼくらのウォーゲーム」があるが、自分は未鑑賞なため比較して見ることは出来なかったが、
あまりの歪な描写に、細田監督の“やりたいこと” と “興味のないこと” が白黒ハッキリ現れたように見えた。



未来的なネット上における仮想空間を題材にしたことで、地味でこじんまりとした世界を大規模なものに見せた物語や画作りが魅力的。
特に今回はネット上での出来事を3DCGで、
現実世界を従来の2Dアニメで描写されており、そのメリハリが効いていたからこそ、終盤における展開が強く引き立てられる。
ある種、基本に忠実というべきか、それまでの隔絶された二つの世界が干渉しあうクライマックスは誰が見ても共感と感動を呼び込む。

また、女子高生もの、SF、夏、田舎という、もはやアニメ映画においては代名詞ともされる要素を並べ立てた割には、物語の行く末は比較的意外性があり、
「こうなるだろう」と想像していたことが全く違う方向に傾いたため、非常に驚いた。
そのためのミスリードを誘う要素が今思えば沢山散りばめられていた。まんまとしてやられた気分。

なによりも素晴らしかったのは、今回の仮想世界における「虚像のアナタ」と「現実のアナタ」という設定を利用して、
そばかすや痣といったルッキズムから解放された「美女と野獣」をやるというのは、現代に相応しい美女と野獣と言ってもいい。
だからといって現実を真っ向から否定するようなことはせず、
最後は現実における辛さや苦しさを直視し、立ち向かう勇気あるものへとなっていく。
そう主人公を突き動かす動機が、あの日あの時の大切な人の動機と同じだったということに気付くシーンは、この作品で何よりも伝えたいことなのだろう。

「誰かを助けるのに理由がいるかい?」

これは20年前に発売されたゲーム「ファイナルファンタジー9」の主人公ジタンの名台詞のひとつ。
この映画を一言で言い表すとしたら、まさしくこれだろう。




全体を通してみると、
伝えたいことや描きたいことにはとても感動するし理解できるのだが、
とにもかくにも設定の粗さが酷すぎる。
今回の仮想空間「U」がTwitterやインスタ、あるいはfacebook、YouTubeといったソーシャルメディアの合体として描かれているのに加え、
オンラインゲームといった競技シーンも兼ね備えられている大規模(過ぎる)ものへとなっているが、
台詞の節々からわかる「U」の構造からすると、今回のキーキャラクターとなる竜が、ある種オンラインゲームにおける“チーター”と同じようにも見えてくる。
チーターとはオンライン対戦ゲームにおいて、自分に有利になるように不正行為を行う人物のこと。当然ながらそのような行為をした人間が一人でもいれば競技性は瞬く間に失われる。
そういう存在を運営が野放しにしてる時点でゲームという意味での「U」の価値はゼロに等しい。
仮にゲームを破壊させるほどの唯一無二の強さを持っていたとしても、50億人のうち匹敵する強さの他者が存在しないという非現実的な状況が、結果としてこの映画の説得力の無さに拍車をかけている。

そもそも「U」のアカウント取得が生体データをもとにしているという設定のため、冒頭に登場するキャラクター達が口々に主人公のベルの外見を揶揄する演出がよくわからない。
昨今のSNSにおける暴言、誹謗中傷は、その匿名性があるからこそであるというのは、2ちゃんねる創設時代から言われてきた。
「U」の世界では匿名性は極めて薄い。アバターに生体データを基にした特徴が表出している以上、こと外見を揶揄するような言動は出しづらいというのが昨今のSNSでは通説。

細かいことは気にするな!と見逃したいのもやまやまだが、映画の中では常にSNSを露悪的にしつこく描かれることが余計に鼻につく。
あまりにもしつこく描かれるため「監督、前作(未来のミライ)が叩かれたことを根に持ってる?」と勘繰りたくなるほど。
こういったSNSを描く作品でよくありがちな「悪い部分を極端に悪く描く」という誇張表現が陳腐に見えてくる。

「U」の世界はオープンワールドとして存在している一方で、コミュニティとゲームの区分けが存在しないルール無用のなんでもありなマッドマックス状態。
「ソーシャルジャスティスウォーリア」がゲームデータを弄れるかのようなアウトな存在でありながらスポンサーが付いているという、何がなんだかよくわからない状態。

とにかく仮想空間の構造が、作劇上都合よく用意されたただの舞台装置に成り下がっており、
若者、学生達に向けられたような作風でありながら、折角のSNS上におけるコミュニティ問題も説得力が皆無。
あまりにも設定に粗さが目立つため、細田守監督はそこらへん興味がないんじゃなかろうかとも。

終盤の都合いい展開はもはやギャグに近い。
50億あるアカウントから一人を見つけ出すことは出来ないけど、
1億からなら出来るよというのを真面目にやっている乱暴さたるや。
突然自暴自棄になってテキトーになったのか!?と思ってしまった。


他にもプロデューサ的なキャラクターの眼前にはマルチモニタではなく巨大なモニタとか、通報システムが無い「U」の有り得なさや、警察を特に理由もなく役立たずな存在にすることや、
ラストのとあるキャラクターの叫び、怖じ気、叫び、怖じ気の繰り返しは
長い、ダサい、つまらないの三重苦で、単なる尺稼ぎにしか見えず、多くの場面で熱が入っているシーンと入っていないシーンの落差が激しい。
なまじ前作がやたらと叩かれた経緯から考えると、どこか無理矢理でも結果を出したいという意図が垣間見える・・・。


個人的には、監督の偏見混じる前作のほうが伸び伸びと映画を作っている気がした。
今回は何処か学生の演劇のようにも。
しおまめ

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