尼崎に実在する町医者を追ったドキュメンタリー。
死は“敗北”とされてきた医療の世界にあって、
このけったいな町医者が劇中で関わるお年寄りの死に様は、敗北ではなくもっとなにか、あたたかいものだった。
当たり前のように出てくる自宅で亡くなるお年寄りたちのナマの描写。
老衰による「死」は目を覆うような大仰なことではなく、見てはいけないものでもないと思う(事故で亡くなったとかの場合をのぞいて)。
死は暮らしの延長で、自分たちにとって身近なものである。
どう死にたいかを考えることはどう生きたいかを考えることの延長である。
認識がしっかりしている時に本人が作成したエンディングノートに沿って希望する“終末のあり方”を実現すること。最期まで個人の意思を尊重する死に方。
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医療=薬になっていないか?
医療とは本来、助言であると町医者はいった。
COPDのおじいさんに「歌を歌うといいよ。」といいついでに「八代亜紀歌おか?」と歌を歌うところまでする。
診察に来た患者にひとこと冗談をいう。
患者の外出の場をつくるためにクリスマスパーティーを催す。
とても福祉的な医療者だった。
医師の範疇にとどまらずいろんな職種の領域を飛び回るような人だと思った。
そしてとことん人情の人という印象がした。
まさしくけったいという褒め言葉がしっくりくる。
P.S.関西弁という言語のもつ妙な朗らかさは、他の言語を凌ぐのではないかというような気がした。